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11回目の1月17日。 [阪神・淡路大震災]

 1月17日。
 11回目のこの日がやってきました。
 10年目の去年が過ぎてから、ようやく現実のこととしてとらえられるようになってきたように思います。
 11年前のあの阪神淡路大震災の日に盛岡公演の仕込みをしていた時のことが、今でも昨日のことのようにリアルに思い出され、テレビが映し出す神戸の映像が、今でも鮮明に瞳の裏側に浮かびます。何年経った、と毎年言われますが、あまり現実感はありません。
 東京で街を歩いていても、今でも「このビルは危ない」「あのビルは絶対に倒れる」と考えながら歩くので、どうしても目的地に行くためには通らなければいけない道でも遠回りをしてしまったりするのが、癖になってしまいました。
 劇場で公演中も、緊急連絡用の高性能トランシーバーを導入したり、昨年は実際にサンシャイン劇場で避難訓練をしたり、新神戸オリエンタル劇場でも緊急避難用の誘導路の見学をさせていただいたり、AEDを導入したりと、「万が一」に備える具体的な準備ができるようになってきました。
 具体的な準備ができるようになるまでに要した時間は何をしていたのか、と、今になってやっと思えます。
 きっと、あの大震災の残した傷跡に、知らない間に自分も呑み込まれていたのではないか、と思うのです。
 そんなことでは、100人近い関係者が動くキャラメルボックスや、ましてやキャラメルボックス公演に来てくださる1ステージで何百人というお客さまを守ることなどできはしなかったはずなのに。
 この国に住んでいる限りは、いや、地球上に住んでいる限りは、いつかは必ずやってくる地震という天災。それは、人知を越えるエネルギーを持ち、いかなる準備をしてもかなわないのかもしれません。
 しかし、地震が起きることを止めることができなくても、起きてしまった後にどう動くのか、それをシミュレーションしてできうる限りのことをしておくのが、人類の叡智だと思うのです。
 誰かがやってくれるだろう、とみんなが思っていては何も先には進みません。
 まず、自分は何をできるのか。
 次に、自分は人に何を伝えられるのか。
 それを、いつもいつも、考え続けていなければならないのだと思います。
 
 あの阪神淡路大震災を体験した人たち。あの現場を目の当たりにしてしまった人たち。
 テレビを隔てて、しかし同じ時間を過ごしていた人たち。
 ひとりひとりが、あの時にもどかしく思ったいろんなことを、あえて思い出して、「次」が自分に訪れてしまったときに一体どう動くのか、それを、まずひとつひとつ実行に移して、いつもいつも再確認して、今、「それ」が来てもすぐに手が打てるようにしていなければならない、と思います。
 
 あなたは、今晩、大地震が来た瞬間にすぐに逃げられる体勢で眠っていましたか?
 逃げるときに必要なものを、すぐ近くに置いてありましたか?
 枕元に靴はありましたか?
 食料は?
 水は?
 懐中電灯は?
 
 どんな準備も虚しい、と諦めてしまうのは簡単です。
 自分の住んでいるところにはあんな地震は来ない、と無理矢理信じ込んでしまうのも幸せかもしれません。
 しかし、自分が助かることで、助からないかもしれない人を助けることができるのです。一人でも多くの人を助けるために、僕は生き残りたいと思います。
 あなたも、自分の命を守ることで、多くの人の命を守る手助けをするために、生きましょう。生き残る努力をしましょう。
 
 空港ができて、これが経済の活性化に繋がれば本当にうれしいことなのですが、神戸の経済はまだ震災前の状況には戻っていません。
 僕らも、神戸にしがみつかないで関西公演は大阪だけにしてしまえばもっと劇団経営は楽になるのかもしれません。実際、それを薦める人も多くいらっしゃいました。しかし、絶対にそんなことはしません。僕らは、神戸に育てていただき、神戸とともに歯を食いしばって頑張ってきました。神戸の皆さんにどう思われているかは別にして、僕は、誰に何を言われようとも、神戸の皆さんとお会いできる機会を1日でも、1ステージでも多くしようと、特にこの11年間は思ってきました。そして、その思いはきっと一生変わりません。
 11年目の今年に『賢治島探検記』をまたしても東京だけで再演します。演出の成井豊が美術会議で何度も念を押すのは「いつでも被災地に持って行かれるように」ということ。あの時、すぐにでも神戸に飛んでいきたかったのに何もできなかった悔しさを、忘れてはいません。「次」に何かがあったときに飛んで行かれるシミュレーションを、劇作も進めています。
 
 なんとなく元気がない、この国。この時代。
 僕は、元気づけられる側じゃなくて、元気づける側で、一生を終えたいと思います。もし、自分がその災害の渦中にいても、「がんばろうがんばろう!!」と言える人になりたいです。きっと、キャラメルボックスのメンバーはみんなそうであると思います。
 
 大きな流れの中で、おまえなんかになにができるんだ、とも思われるかもしれません。でも、最後に大事なのは「思い」です。これはもう、間違いありません。
 
 だから、朝が来ない夜は無い、と、僕は信じ続けたいと思います。
 がんばろうっ!!神戸!!


2006-01-18 13:24  nice!(7)  コメント(16)  トラックバック(9) 
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まゆぽん

そうですね・・・。
いつ地震が来るかわからない世の中で、何も準備をしていないと言うことは、怖いことだと最近思います。
いざと言うときに自分はどう行動できるのかを考えて、毎日を過ごさないといけませんね。
災害があったときに、私も他の人を元気付ける側でありたいと思いました!
by まゆぽん (2006-01-18 14:29) 

ひまわり

大きな地震がきたらどうしよう?
ただ何となく不安に思いながらも他人事ですましていました。
記事を読ませていただいて 身の引き締まる思いです。
そしていざというときに負けない気持ちと勇気をいただきました。
小さな勇気かもしれませんが朝がくるまでの灯火のひとつでいられたらと思います。
by ひまわり (2006-01-18 18:02) 

みず

加藤さん、僕も、現実として捉えられるようになったのは、昨年ごろからです。
それまでは、毎年この日を迎えるたびに、「あれから○年経った」という
実感がなく、いろいろと自問自答をしては、気持ちは沈むばかりでした。
昨年から、ようやく、前向きに、この日を迎えることができるようになりました。

僕も、自分は全く被災しておらず、しかし、学校が西宮という街にありまして
(新幹線の高架橋が崩落した辺りです)、
「よそもの」として自分にできることは何だろうと考える日々でした。
加藤さんが神戸を見続けているように、僕は、同じく被災した西宮
(1,146人の方が亡くなられています。)を、あれからずっと見続けています。
by みず (2006-01-18 18:44) 

ひよぴよ

私も「大地震がきたらしょうがないや、天災なんだし。」と、なにもしていませんでした。
でも、なにかの機会で加藤さんの地震に対するこころがまえを目にしたとき、180度意識が変わりました。
「生き残って、助ける人になる」
その言葉に、普段の生活が崩されてまで生き残る不安がかき消されました。
なにをすべきか、用意するものはなにか、具体的に現実的に考えられるようになりました。
私も「がんばれ」と言える側になれるように。
by ひよぴよ (2006-01-18 20:48) 

kage

静岡に住んでいるので、防災訓練だけは数多くこなしています(毎年9月1日は県内全部の学校や企業で防災訓練が行われているのが当たり前の世界です。)。でも、少しずつ意識が薄れながら訓練のための訓練になっていき、そんなときにどこかで大地震。もう一度気を引き締めて訓練、そしてまた薄れていく・・・。静岡はこのことの繰り返しです。気持ちを持ち続けるのは大変なこと。でも持ち続けないとね。
by kage (2006-01-18 21:46) 

神楽霧月

私は、当時から宝塚に住んでいて、あの11年前の震災も経験しました。
ですが、当時私は小学1年生で…あまり多くのことは覚えていません。
でも、11年経った今でもあの時の印象深かった事は昨日の事のように思い出せます。

今私はボーイスカウトに入っていて、こんなモットーがあります。
「そなえよつねに」
加藤さんの記事を見ていると、「これがスカウトの目指すところなんじゃないかなぁ…」と思いました。

そして私も人を元気づけられる人間になりたいと思います。
この宝塚を、兵庫を、関西を、日本を、世界を…(でかすぎますかね…?)
長文失礼しました!!!
by 神楽霧月 (2006-01-18 23:37) 

NO NAME

「多くの人の命を守る手助けをするために、生きましょう。」
…目から鱗が落ちた感じです。
そういう考え方があるんだと、初めて気づきました。

天災なんだから、死ぬも生きるも運次第。
生き残ったら出来得る限り人の為に頑張ろう!
といったくらいしか考えていないから、備えは食料くらいです。
よくよく考えたら、助ける為の準備って、自分が生き残るためにも必要なものなんですよね。そう考えたら、色々準備をしておこう、っていう気になりました。
by NO NAME (2006-01-19 13:40) 

かねかね

すみません!名前入れ忘れてました。
by かねかね (2006-01-19 13:41) 

震災の時はまだお腹にいた息子も、もうすぐ11歳。
当時は自分の安全(もちろん主人もですが^^;)だけを考えればよかったですが、
今は息子や娘の事を一番に考えると、楽天的に考えすぎるのも良くないと、
本当に思います。
いざとなった時の避難経路、少しばかりですが水と食料。
カイロとかビニールシートとか懐中電灯とか、それなりに準備はしたのですが、
加藤さんの文を読んで、まだまだ甘いと思いました。
再度見直しするべきですね。
自分と家族を守るために。
by (2006-01-19 17:45) 

どべ

加藤さんのブログ内容と全然関係ないのですが、さっきテレビを見てたら事故で頸髄損傷で首から下が全く動かないと診断された人が、近所の人たちのリハビリで、座り、立ち、今は文字、漢字まで書けるようになったというのをやってました。「ヒトミ」が、ほんとにいらっしゃったんですね。舞台でもそのリハビリがどんなに辛いものかわかっていた気でいましたが、あらためてその凄さや、動けることの奇跡を感じました。「ヒトミ」を観てなかったら、こんな気持ちを感じることもなかっただろうと思うと、とてもありがたく思いました。
これからもいろんな題材のお芝居を観たいです。
by どべ (2006-01-19 21:13) 

sakko-u-

11年前,大阪で震災を体験しました.私は,何にも被害はなかったです.
当時,とある大手スーパーに勤めていました.食品売り場は全く被害がなかったので,通常に勤務していました.水や乾パン,缶詰が飛ぶように売れました.
水を仕入れようとしたのですが,全国の在庫の水が神戸に送られたことを覚えています.神戸の店は,closeです.しかし店の前で,手売をしていました.
その年から,2月3日には新入社員が,仮設住宅へ節分の太巻きを配りに行きました.かなり長い間続きました・・・それは,いつも震災が終わっていないことを感じさせられていました.
私の彼は,教え子を亡くしました.自分の仕事場もむちゃくちゃになってしまいました.しかし,大阪や東京での仕事には出かけなければなりません.
神戸を一歩出れば,全く違う世界だったそうです.外国での戦争をテレビで見ているのと,同じ感覚だったそうです.当時のレポートや論文は,箱の中に入れて大事にされています.でも,開けることはないです.開けれないそうです.涙が止まらなくなるそうです.共感できないことが,悲しいです.
こんな私に何ができるのかなぁ?加藤さんに教えられました.生きることなんですね.私は,心の病気で常に死を隣り合わせにしています.自殺願望です.
でも,キャラメルからもらう元気で,がんばれています!!今回の加藤さんのブログで,もう大丈夫?!だと思います.
下手な文で,長々と申し訳ございません.
by sakko-u- (2006-01-19 21:59) 

キヨミ

守りたい人達がいます、守りたい物があります。
そのためにはまず自分を守れなければいけません!!

加藤さんの言葉を聞きそんな気持ちを少し忘れていた
ように思います・・・
by キヨミ (2006-01-20 02:08) 

kobutahime

被災地の現状は本当に悲惨なものです。
今でも、地震の時に聞いたり見たりしたものに触れると
あの地震の当日にフラッシュバックしてしまい、その度に
声を上げて泣いてしまいます。
でも、そんな事は私の問題だったり、どうにも出来ない事だったりします、

私が本当に知ってもらいたいのは、この地震からの教訓なんです。

加藤さんがおっしゃるように、大切な人達を少しでも助けられる術を
どうか、知ってもらいたいんです、
少しでも生き延びる術をあの地震から学び取ってもしもの時に
活用出来る社会であって欲しいと思うんです。
ニュースを見ていても生かされていない事が多くて悲しみが増します。

非常用にリュックの中で賞味期限の切れるカップラーメンがあると
これを使わずによかったと安心します。<捨てるのはもったいないけど・・>
終わった事だからこそ、そのから得ることが多い事もあります。
どうか、その事を忘れないでいて下さい。
by kobutahime (2006-01-20 12:36) 

きょんた

加藤さん,神戸へのメッセージをありがとうございます。
私は神戸で生まれて,神戸で育ちました。今は神戸で小学校の先生をしています。震災当時もすでに勤めていました。校区は被害の少ない地域だったので,被災児童を受け入れる学校になりました。放課後,避難所になっている学校の支援に行きました。
次の年,異動した学校は,校区の半分が全焼した地域でした。私の震災はここで2度目のスタートをします。復興するための苦難を,そして子どもへの影響を毎日感じました。経済的にも精神的にも楽な人はいませんでした。でも・・・。家族を失ってなお,笑顔で話しかけようとしてくださる方。すべてを失ってなお,立ち上がる方々に私は出会いました。報道されているのはほんの一部です。震災は,すべての人の人生に語りつくせないものを残しました。
11年目は,次の学校で迎えました。毎年,1月17日には震災を振り返った学習をします。今年は,ボランティアを考えました。震災後に生まれた10歳の子どもたちは,自分の学校に来てくれたボランティアの数,内容に思わず感嘆の声をあげました。食料・義援金・避難所支援をはじめ,時間が経つにつれ変容していくボランティア。「春休みキャンプ招待」「洗濯を週2回」(これはクリーニング屋さんのアイデア)。
子どもたちと考えたのは,「思い」です。こんなにたくさんの方が神戸のために「思い」を伝えてくれたこと。私たちは忘れてはいけない。そして,もしもどこかで災害に苦しむ人があれば,私たちは自分の「思い」を伝えよう。だれでも「思い」はもっている。それを実行する勇気ももとう。そんな話をしました。

加藤さんの「思い」を受け止めたことをお伝えしたくて書きました。
神戸は,キャラメルボックスを待っています。みなさんの「思い」を感じています。私はみなさんに出会うたび,生きる喜びを感じています。

これからも・・・共にがんばりましょう。
by きょんた (2006-01-20 21:56) 

wako

大地が崩れたとき近所に嫁いだ娘のお腹にいた孫が11歳。形の無くなった一階に埋もれそれでも生き延びた私達家族。避難所生活から不景気とローン地獄に追われながらも住まいを持ちタダひたすら生きてきた11年。今年初めて東遊園地(三宮)の慰霊祭場所に足を伸ばしました。昼過ぎでしたが明らかに会場に向かう人の流れが途切れない事に妙に安堵しました。竹筒にろうそくを灯す老若男女。既に国や行政が公式慰霊行事から手を引くと言うときにもわざわざ訪れる人が居る。そして、涙を流して手を合わせる人がいる。その人達を見て、同じ被災者として11年過ごしても全く違う11年を過ごしている人達が居ると初めて気付きました。やっと気付きました。家も仕事もなくしひたすら突っ走ってきた我々には11年が時を刻んでいたんです。でも、大切な人と引き裂かれた家族には時が止まって居るんだな・・と、やっと他人を思う隙間が出来たんですね。因みに避難所でお芝居で意気投合した演劇女学生が見せてくれた出来たてビデオ<ヒトミ>がキャラメルへの入り口になりました。
by wako (2006-01-22 00:10) 

caramel初心者

加藤さんのメッセージと、
皆さんの書き込みを読んで、
心引き締まる想いがします。
心も身体も強くありたい、
そう思わずにいられません。
by caramel初心者 (2006-01-22 23:32) 

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