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阪神・淡路大震災から17年。 [阪神・淡路大震災]

 また、1月17日がやってきました。
 
 もう、すでに現在中学生の方はリアルタイムでは体験していない、1995年1月17日5時46分に起きた兵庫県南部地震。通称、阪神・淡路大震災。
 僕はその日、宮沢賢治さんを題材にした作品『ブリザード・ミュージック』の北ツアーで、盛岡におりました。前の晩は遅くまで飲んでいたのですが、テレビを付けっぱなしで寝てしまい、なぜか目が覚めてしまった朝6時過ぎ、ふとテレビの画面を見ると画面には燃える神戸の街が映し出されておりました。
 
 一瞬、何が起きたのかわかりませんでした。
 その2カ月前、僕たちは神戸にいました。1990年に初めて神戸公演を行い、大歓迎していただいてから「第2のホーム」と決めた神戸。その愛する街で、なんと高速道路が崩れ落ち、建物が倒れ、地域によっては大火事になっているのを、ただただ呆然と見つめていました。
 前年秋の『俺たちは志士じゃない』でアナザーフェイス公演をやった「惑星ピスタチオ」という劇団(解散)のメンバーはほとんどが神戸に住んでいるはず、と制作の人の携帯に電話をしてみると、なんと繋がり(当時はまだ携帯電話の台数が少なかったのです)、とりあえず無事、とのこと。ちょうど朝まで大阪で打ち上げをして解散した後だったので誰がどこにいるのかまだ確認できていない、と。
 
 テレビの画面を見ていると、三宮の駅近辺でさえ壊滅状態。
 戦争で爆撃されたかのような、信じられないような光景が広がっていました。
 
 しかし、あまりの被害のひどさにます何をするべきかが思い当たらず、とりあえずこの日は盛岡劇場で仕込みだったので劇場に行き、楽屋でもテレビをつけっぱなしにして情報を集めておりました。
 当時はまだインターネットは普及しておりません。キャラメルボックスのホームページができたのがこの年の夏ですから、パソコン通信があったくらい。つまり、情報源はテレビのみと言ってもいいほどでした。
 
 惑星ピスタチオの面々とは次々と連絡がとれ、安否確認ができ、全員の無事が確認されました。お風呂場で被災し、外に出られなくなっていたという人もいました。帰宅途中に電車が脱線して止まったので降りて線路の上を走って自宅に帰り、家族の安全を確認してからリュックに水のペットボトルを詰めてとって返して被災した劇団員の家まで届けに走った、という超人(もちろん腹筋善之介)もいました。
 
 動揺しながらも僕らは話し合い、こんな大災害が起きている時に芝居なんかやっている場合か、という意見もあったのですが、しかし、盛岡は揺れませんでしたし、なによりも滅多に来られる街では無いので今ここで中止してしまっては楽しみに待っていてくださった盛岡のお客さんに申し訳ない、ということで上演を決定。
 
 情報を整理していくと、被害は東は大阪府の豊中市あたりから西は明石市、南は淡路島、という範囲に大きな被害が集中。そして神戸市内でも、加納町から北側はそんなに被害が無く、新神戸オリエンタル劇場があるビルは無傷、劇場も平台が一枚倒れただけ、などということがわかってきました。
 
 翌日から、新聞に載っている亡くなった方のリストを顧客管理部のメンバーにチェックしてもらい、キャラメルボックスの顧客名簿との照らし合わせを行いました。その結果、次々と「おそらくこの方」というお名前が見つかりました。つい2カ月前、いっしょに劇場で同じ空間にいた方が。大きな喪失感。
 
 その後仙台での公演を終え、東京に戻ってから、何が出来るかを相談。
 無傷だった新神戸オリエンタル劇場では、当面、全ての公演が中止で、2月頃から無料イベントを始める、とのことで、何か一本芝居ができないか、と検討したのですが舞台セット無しでできる芝居がキャラメルボックスには無い、しかもお休み期間中で役者が集まらない、ということが重なり、無料のビデオ上映会をして、行ける劇団員はできるだけみんなで神戸のお客さんに会いに行こう、ということになりました。
 
 ……この時、芝居を持って行けなかったというのは、本当に屈辱的でした。劇団なのに、芝居ができないなんて。
 この想いが、後の『賢治島探検記』の誕生に繋がるわけです。
 
 でも、3月6日に新神戸オリエンタル劇場で行ったビデオ上映会には、朝からたくさんの方が詰めかけてくださいました。
 当日、関西国際空港から船で港に着いたメンバーは歩きで劇場へ。僕らスタッフは前日に入って芦屋からタクシー。まだまだ全く片付いていない神戸市内の様子に唖然としながら劇場に到着。
 役者達が劇場に着いた頃にはすでにお客さんが劇場の前に並んでいたので、15:30開場16:00開演の予定だったのに、11時過ぎには開場し、僕と西川が舞台に出て前説を開始。これがキャラメルボックス史上最長の前説ですね、5時間。他の役者達もロビーに出て、ロビーのお客さんたちとお話。地震で恐かったこと、避難先で大変なこと、などいろんなお話を聞いたりし続けました。
 そして上映したのが、『カレッジ・オブ・ザ・ウインド』と『広くてすてきな宇宙じゃないか』。みんなで笑い、泣き、楽しい1日を過ごしました。
 
 その後、キャラメルボックスでは公演ごとに「出演者全員のサイン入り色紙」を販売し、「義援金ポストカード」を作ってお金を集めて、あしなが育英会( http://www.ashinaga.org/ )の「震災遺児育英基金」に寄付を続けました。その後、震災遺児のための「レインボーハウス」の基金に変更。今でも、ポストカード販売は続けています。
 
 8月12日から、新神戸オリエンタル劇場で『また逢おうと竜馬は言った』を上演。3月にお会いしたお客さんたちと再会。
 それからも、毎年最低でも2公演を神戸で行ってきています。
 
 「レインボーハウス」のこどもたちも、もう大きくなり、何度かキャラメルボックス公演にもご来場くださっています。
 
 あの大震災から17年。
 僕は、いつも神戸のことを考えて生きてきました。
 1月17日のことも、3月6日のことも、一生忘れません。
 これからもずっと、神戸を応援していきます。
 また近いうちにうかがいます。待っててくださいねぇっ!!


2012-01-18 14:13  nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(1) 

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