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3月14日に書いてアップしなかった11日地震当日の僕。 [東日本大震災]

 この日記は、3月14日の休演日に、今は載せるべき時期じゃないけど忘れないうちに書いておこう、と、公表はしなかった地震当日の僕に起きたことです。
 あの日、もちろん東日本沿岸に起きたことは日本にとっての大きな災害でありますが、東京に起きたことは、劇団始まって以来どころか、僕が生きてきた中で最大の「事件」でありました。その記録を、若干修正してアップさせていただきます。
 劇団初の「公演中止」を判断する心の過程も込みの、1万文字越えの超長文です。

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 3月11日金曜日。地震のあった当日、みんなの劇場入りは16時。が、僕らは会議があったので14時入り。新人たちも14時に入ってきておりました。
 会議は30分ほどで終わり、みんなそれぞれの楽屋に戻り、15時からの次の会議に備えておりました。
 
 そんな、14時46分。 
 その瞬間、僕はル テアトル銀座の楽屋のトイレの個室にいまして(←そこまで書くっ?!)。
 一揺れ、二揺れした時点で「これはデカイ」と第六感が働き、大至急トイレの外へ。
 すごい揺れの中、まずは脱出経路の確保、と、窓を開け、外を見ると、周囲のビルが左右に揺れ、首都高速道路が波打っています。
 ムービーを撮っておけば良かったのかもしれませんが、それができないのが僕がカメラマンである前に社長である所以でありまして。
 「狭い部屋に入れ!!」と叫びながら、長い揺れの中、扉を開けてまわり、よたよたしながら楽屋に走って「みんな大丈夫っ?!」と大声で叫ぶと、「女楽屋は無事ですっ!!」と演出・有坂のでかい声。製作部は淡々と電話をしたりして、すでにリカバリーに入っている模様。
 
 ※地震発生後のリアルタイムな状況は、「Twilog」というサイトの僕のTwitterのつぶやきのまとめの3月11日(金)の15時からのあたりをご覧いただくとかなりわかります。 http://twilog.org/KatohMasafumi/
 
 がっ。今だから言えるのですが、この時点ではまだ、自分も含めて「なんとかして上演する」ために動いていたのです、キャラメルボックスは。
 あらためて外を見ると、隣の公園に近所のビルの人たちが避難してきています。都会の大地震では外に出る方が危険なのに……!!

 すると、楽屋内にビル内の緊急放送が流れて、1階の駐車場に避難してください、とのこと。みんなで、貴重品だけを持って1階まで降り、しばらく駐車場で待ちます。誰が劇場にいて誰がいないのかを確認。15時からの会議に参加するメンバーは全員揃っていたのですが、16時入りのメンバーにはまだ到着していない者も。スタッフも、当然まだ来ていない人がいました。
 ここで、ビルの責任者の方から「現状報告です」との告知。「震源は宮城県沖、最大震度は7、とのことです」と。
 「7」って……!!……盛岡もやられたな、こりゃ……(←後述)。
 
 それまで全く忘れていたのですが、僕の携帯はワンセグ対応。取りだして画面を見てみると、「宮城県沖でM7.9、震度6。東京は震度4〜5」(←速報とはこんなものなのですね)。
 
 と、この時点で、すでに府中の自宅のヨメから「ウチは大丈夫」という短文のメール。
 よしっ、じゃぁ、僕はこっちを頑張るっ!!と決意。
 
 しばらくして落ち着いたということでいったん楽屋に戻って現状把握をしようとテレビを見ていたら、15時15分、なんとまた大きな揺れが。「余震」かと思っていたら、今度の震源は茨城県沖、M7.4、東京都江戸川区が震度5弱。再び駐車場に避難しました。
 そこであらためて確認してみると、まだ数人到着していないキャスト・スタッフが。電話で確認しようにも、当然電話は通じず。しかし、制作スタッフのところに次々とメールが入り、途中の駅で足止めを食ったので歩いてこちらに向かっていたり、車で向かっていて渋滞に巻き込まれているということがわかり、とりあえず全員の無事が確認されました。
 
 しばらくして再び避難命令は解除されて、楽屋へ。
 ここで、対応を協議するために情報の整理。
 舞台監督さんが舞台を見に行くと、舞台セットや照明・音響機材は無事だけど、照明機材のケーブルが抜け、向きが変わってしまっている、とのこと。この時点で、車で劇場に向かっていた照明の勝本さんが到着。皇居近辺の交通が全て遮断された上に首都高速が通行止めになったたために車が道に溢れ、銀座に向かう道はマヒ状態だった、とのこと。至急機材の確認に向かってもらい、僕らはテレビで現状を確認。
 この時点で、東北沿岸が巨大津波で大被害が出ていることが判明。
 しだいに、都内もJR、地下鉄、私鉄など、全ての交通機関が止まっているということがわかってきました。
 
 交通機関が止まっている、ということと、本震があまりに大きすぎたため余震もまだまだ大きいのが来るであろう、と判断し、この時点で僕はこのステージの公演中止を決意して、演出の成井とも相談して、楽屋の廊下に全員を集めて公演中止を告知し、16時までに公式発表する、という準備を進めることにしました。
 照明部は、これからの時間帯を利用して翌日のステージを上演するために直しをする、ということになり、舞台へ。
 
 こうして、劇団結成26年目にして初めての「公演中止」に向けた準備が始まりました。
 
 決まってしまえば、仕事が速いのがネビュラプロジェクト。
 僕はブログとメールで知らせるための文章を作り、みんなに確認してもらうため社内一斉送信メールを送り、プリントアウトして楽屋に貼り出すとともに劇場事務所に電話対応をお願いし、中止を知らせるPOPをプリントアウトして製作部が1階に降りて貼り出しました。返金するための現金を用意し、日時変更を受け付ける準備も始めます。このあたりの現場のことはチーフプロデューサーの仲村とデスクチーフの聖澤が粛々と進めていきました。
 
 と、ここで、それまで全く気づいていなかったのですが、楽屋の僕の部屋の時計が床に落ちてガラスが割れて散乱しておりました。足もとを見る余裕も無かったのか……。
 もしかすると、ル テアトル銀座の物的被害はこれ一つだったかもしれません。

IMG_2298.jpg
5分進んでたのかぁ……。
 
 が、そうしている間にも、やはり次々と余震が。
 
 照明部が楽屋に戻ってきて「やはりまだ揺れて危険なので、今日の作業は中断して、明日の早朝からやります」とのこと。
 それはそうでしょう。
 社内での確認が取れ、劇場とも打ち合わせをして、ブログに公演中止の情報をアップしたのが16:55。
 
 18時から、劇場の1階エレベーター前で、製作部が交替で日時変更とキャンセルの手続きを開始。
 近所のコンビニに偵察に行った筒井たちが「もうほとんど食べ物がなくなってました」とのこと。いえいえ、大丈夫、夜のお弁当は到着済み。さしいれのお菓子もいっぱいあるし。そして、最悪の場合、劇場が入っているビルの上はホテルだし、向かい側の居酒屋さんは朝まで営業だし(実際、ちゃんと営業していました)。
 
 このあたりで、聖澤が劇場内にいるキャスト・スタッフの住んでいる場所のリストを作成し、地図を作りました。誰と誰が帰れて誰が帰れないのかを検討するためです。
 
 18時30分、開演30分前になったので僕も1階の劇場前へ。寒いので交替でやってね、と指示していたのに製作部の女子がみんな集まってます。
 この時点で、お客さんは18人の方がいらっしゃって、日時変更とキャンセルの手続きを済ませた、とのこと。ていうか、他に何百人もご来場予定だったのに、ほとんどの方がなんらかの方法で前もって公演中止を知ったか、当然中止だろうと判断して劇場には向かわなかった、ということなのですね。凄い。
 開演時間が近づくと、役者達も何人か1階に降りてきました。なんだかじっとしていられなかったようです。10数人のキャラメルボックス関係者が、仮設の受付の周りに集まっていました。
 その前の銀座通りは、車は大渋滞で全く動かず、歩道はたくさんの人が早足で歩いています。
 19:30に日時変更・キャンセルの受け付けを終了。
 
 この時点で、JR東日本が終日運転再開は無い、と発表。
 ちょうどネビュラの荷物運搬用ワゴン車が来ていたので、劇場にいるうちの何人かを送り届けようか、という案も出たのですが、JARTECの道路交通情報を見ると都内全域が真っ赤。京橋方面を偵察してきた、という照明の勝本さんが「車は無理ですね、全く動いてません」とのこと。
 『夏への扉』のキャスト・スタッフのほとんどは西東京に住んでいるので、無理して帰宅するのは危険、と判断しました。サンシャイン劇場には自転車で来ていた面々も、さすがに銀座までは電車で通っていたのです。

 そこで、劇場事務所に相談をしに。
 「こんな事態なので」と、なんと、楽屋への宿泊をOKしてくださいました。
 お子さんがいらっしゃったとき用の座布団や、具合が悪くなったお客さんのための毛布などをかき集めて楽屋へ。
 
 そこで、あらためて廊下に集合。
 楽屋に泊まることを了承してくださったこと、何時間かかるかわからないけど、ネビュラのワゴン車で送ることも可能、と提案。ほとんどのメンバーが、楽屋泊を決意しました。
 そこで、「食べ物はまだ楽屋にあるけど、近所の居酒屋とかは頑張って店を開けているから、いったん劇場を出て飲みがてら食事をしてきてください」と告げて、23時にあらためて集合、ということに決定。
 
 僕は楽屋で情報収集と、正確で有用な情報を見つけたらTwitterにリツイートしていくことをしつつ、公演中止をするための様々な手続きをし、と同時に交通の復旧情報を仕入れ続けていました。
 テレビでは、「帰宅困難者が大量に出る」というニュース。ふと「なんで大会社は社員を自社に泊めて守ってあげないんだろう?」という思いが頭をよぎりました。無理に帰る方がよっぽど危険なのに。しかし、ここ数年問題になっていた「東京で地震が起こったら帰宅困難者が大量に出る」という事態に社会が対応策をまとめる前に、まさに目の前で起きてしまったということなのでしょうね。
 僕は、都内に何カ所か助けてもらうところを考えてあったのと、最悪の場合、新中野まで歩いて、あとは会社に置いてある自転車で府中まで帰れば15kmくらいだからなんとかなるなぁ、と思っていたので特に焦りはしませんでしたが。
  
 ちなみに僕は東京の西の方の府中市に住んでいて、普段は新宿から京王線で帰っています。なのでもともと京王線ラブなのですけど、かつて京王線に関してすごい話を聞いたことがありました。
 かつて、キャラメルボックスは府中より西の聖蹟桜ヶ丘で「アナザーフェイス」公演をやっていた時に、京王電鉄の偉い人と話していて、「なんでJRは雪の日に止まるのに京王線は動くんですか?」と尋ねたら「JRは営業範囲が広すぎて、年に一度の大雪に備えることはしないんですけど、京王は年に一度の大雪の日でも運行できるように準備をしているからです」と言われたことに物凄く感動してしまったのです。
 そうだ、そう言われれば、そっちの方が公共交通機関としてあたりまえの覚悟だなぁ、と。
 そういうわけで、この時も「京王はきっとやってくれる」と手に汗握りながら待っておりました。
 
 それ以前に。
 電話は、同じ東京都内の自分の会社にさえ繋がらないのに、WiMAX経由でインターネットには繋がり続けていたことが、生命線でした。そして、テレビの情報は交錯していて何がどうなっているのかわからないのですが、Twitterや、「ジョルダン」という交通情報のサイトの「ジョルダン・ライブ」というサービスでは、まさに今どこで何が起きているのかをユーザーがアップロードしていて、リアルタイムで知ることができました。もちろん、正確な情報だけではないので確認が必要になるわけですが、テレビでは伝えきれていない細かい情報が怒濤のように流れてきます。その中から、今、ウチの関係者が帰宅できる可能性が見えるものだけをピックアップしていき、正確な情報が出ると、僕の楽屋の前に貼りだしていきました。
 
 と、京王線より先に地下鉄の運転再開のニュースが。
 楽屋にいるメンバーで帰れる者は帰るように、と指示。次々と、帰り先を見つけて楽屋を出て行くメンバーたち。
 
 ここで個人的に驚くべきことが。
 この震災のニュースが入った時点で、盛岡市内に住む両親のことを思いました。思いましたが、最初に駐車場に避難した時に、ビルの責任者の方から「宮城県沖が震源の震度7の地震」と聞いた時点で、実は「あ、ダメだな」と思ったんです。そこで吹っ切れて、今ここにいる社員と劇団員たちを守ることが第一だ、と思えたのです。両親は僕を育ててくれた人たちなんだから、僕が心配しなくても自分たちでなんとかするだろうし、なんともできなかったとしても僕に助けを求めるような人たちじゃないし、亡くなっていたとしても、きっと「今おまえは劇団のために全力を尽くせ」と言うだろう、と判断しました。
 が、実はちょこちょこ電話はかけていたのです。なにしろ80歳ですから、メールとか携帯とかいう発想はないだろう、と。しかし当然繋がらず。災害時伝言ダイヤルなんて、ウチの両親が使うわけないだろうから、それは落ち着いてからにしよう、と決めました。

 がっ!!

 それまでは全く見ていなかった個人用のPCのメールアドレスのフォルダを何の気なしに見てみたら、20時くらいの段階で母の携帯から「一応元気です。停電中で寒い!余震が恐い!!水が出るので助かったけど、これからどうなるのかなぁ」というメールが届いていたのですっ!!
 腰が抜けるかと思いました。……携帯メール、いつの間に体得してたんだっ?!「パソコンはわかるけど、携帯はチマチマしててよくわかんないのよねぇー」なんて言ってたクセにっ!!
 
 この瞬間、もう、何も気にすることはないからあとはいけるとこまでいけ、と誰かに言われているように思いました。
 
 22時頃、西武線運転開始の情報。これでかなりの人数が帰れます。
 直後、京王線運転再開のニュース。
 
 製作部のホープであり、新婚の聖澤が劇場に残る、ということを確認して、23時。
 外に出て飲んできた(食事してきた)メンバーも含めてあらためて楽屋廊下に集合。
 さまざまな地下鉄と私鉄の運行状況を説明し、帰れる者はできるだけ帰り、帰れないで劇場に残る人数を確認。10数人が残ることと10数人が帰ることが決まり、解散。
 
 ここで、司令塔である僕がどうすべきか。
 それを考えました。
 「最前線で指揮を執る」のが当然、とも思っていたのですが、いやしかし、腰がこんな状態だから万が一の事態には即応できない。情けない。
 
 だとしたら、銀座ではできないことが、自分のコックピットである府中の自宅ではできるのではないか、と思いました。
 次に、次の何かが起きたとき、僕と仲村と聖澤がいっしょにいるのはネビュラプロジェクトとして危険なことではないのか、と考えました。この3人が同時にいなくなったら、間違いなくキャラメルボックスは動かなくなってしまう。それは避けなければならない。
 そこで、そもそも帰れない聖澤に銀座の全てを託して、危険は承知で、僕は府中への帰宅を選びました。
 
 この時点では、こういう冷静な気持ちだったのですが、「なんとかして帰宅して仕事する」と決意した途端、突然、家族の顔が頭の中に浮かびました。妻に会いたい。こどもたちに会いたい。強烈な想いが突然沸き上がりました。
 
 いつでも、どこかで鉄道が動かなくなっても何時間かけてでも歩いて帰る自信はあったのですが、情報収集の結果南北線の宝町の駅は大混乱で全く駅に入れないとか、浅草線と銀座線が混雑のため運転休止、とのことで、僕は有楽町線を選びました。
 市ヶ谷で都営新宿線に乗り換えて笹塚まで行ってから京王線で……と、今にして思えば誰もが考えそうなことを考えてしまったのでした。
 有楽町線の「銀座一丁目」のホームに行くと、ガラガラ。理由はわかりませんが、とりあえずこの選択は正解だったな、と思っていると電車が到着。やはりガラガラでした。乗ってからは、駅に着くごとに大量の人が乗ってきます。都営新宿線に乗り換える予定だった「市ヶ谷」で降りてみると、都営新宿線の新宿方面の乗り場に数百mの列が。最初は並んだのですが、全く動く気配が見えません。途中、鴻上尚史さんが目の前を通り過ぎました。声を掛けようかと思いましたが、そのために列を出るのもどうか、と判断してやめました。
 
 しかし、ちょっと待て、東京都内の地下鉄って、遠回りした方が早い、ってこともあるよね?と直感が。
 あえて列から外れて、並ばなくても乗れる逆方向の「本八幡行き」に乗ってみました。乗ってから、路線図をチェック。
 九段下で半蔵門線に乗り換えて渋谷まで行って井の頭線、という手があるな、とそれに決めました。
 
 案の定(?)、反対方向は空いていまして、九段下で乗り換え。半蔵門線のホームは、穏やかな感じで、さっきの市ヶ谷のさっきだった感じとは全く違いました。またもや選択正解。
 
 電車が到着して乗ってみると、これは快適。半蔵門線車内は空いてました。
 がっ。またもや次々とお客さんが乗ってきて、表参道駅のあたりで乗り切れない人が出る感じ。渋谷に到着すると、みんなが一斉に凄い勢いで自分の乗り換える私鉄の駅に向かってダッシュしていきます。
 僕はなにしろ腰が腰でありまして(椎間板ヘルニア由来の座骨神経痛)、この日は座り続けだったこともあり、激痛に耐えながらゆっくりと井の頭線方面へ。
 地上に出て、マークシティの下に行くと、上に見える銀座線から井の頭線への渡り廊下みたいなところにすんごい行列が見えまして。……うわ。アレ、間違いなく井の頭線に乗る人たちの列だわ……こりゃいかん……と、がっくり。
 
 と、その瞬間に、お腹が減ってることに気づきました。あぁ、そう言えば、随分食べ物を口に入れてないね、と。
 というわけで、もうここまで来たら急いだってしょうがない、列に並ぶ前にお腹を満たそう、と渋谷の街へ。が、なんと、チェーン店系は閉店済み。そりゃそうですよね、こんな事態ですから。しかし、なんと「後楽本舗」という昭和のラーメンを出すお店が「ラーメンと麻婆豆腐なくなっちゃいましたけどいーっすかぁっ?!」と元気に営業中っ!!なんてたくましいんだっ!!「商売」って、こういうもんだぜぃっ、と感動して、チャーハンを。……美味しい、ってほどじゃないんですけど、この状態で温かいご飯を食べられてることに、食べさせていただいていることに感謝しなければならないなぁ、と、噛みしめながらいただきました。
 
 完食してから、あらためてマークシティの下の井の頭線の乗り場に通じるエスカレーターの下に行くと……なんぢゃこの列っ?!上の行列に並ぶためのエスカレーターに乗るために並んでいる人たちの列が、渋谷駅前交差点あたりまで。手慣れない感じの警備員さんが、なんとエレベーターの乗車制限をしています。
 
 「井の頭線、運行していますっ!!銀座線入口方面に向かって並んでいただいておりますっ!!」という絶叫が聞こえたので、おとなしく並びました。
 
 途方もなく長い行列。
 
 「こちら側には並べませんっ!!反対側の銀座線入口、という方からお並びくださいっ!!」という絶叫。
 つまり、反対側からうまいこと列を作って紛れ込んじゃえ、という人たちがいた模様で。が、それもしばらくして落ち着き、エスカレーターで2階へ。すると、やはり、井の頭線の改札から山手線の方に向かってずらーーーーっと行って、その先の方でUターンして、ずらーーーーーーっと僕がいるところまで大きなUの字を描いた列が。
 さりげなく割り込もうとするジジババをチェックする警備員さんたちは毅然としていてかっこいいのですが、いかんせん若いのでこういう修羅場が初めてらしく、パニクッております。
 が、並ばされてる側は、見事に整然と、警備員さんたちの言うことに従っております。むむぅぅぅぅ、なんで元気そうな老人に限って「自分は特別」みたいな感じで勝手なことをするんだろう……。
 なにしろ渋谷なので、ギャルっぽい女性たちや、頭をつんつんにしたミュージシャンっぽい若者たちも、整然と並んでおりまして、いやー、現役の日本人ってなんて素晴らしいんだ、と実感。
 
 と同時に、改札近くの誘導は京王電鉄の人たちがやっていたのですが、これが、本当にお見事。
 ロープをうまく使って、冷静沈着かつ柔和で丁寧で的確な誘導をされており、これがパニックにならなかった原因だと思われました。おそらく、こういう訓練もしてきていたのでしょうね、皆さん。素晴らしい。
 で。列は長かったのですが、電車が到着するたびにどどどーっと流れるようにホームに入っていくので、進むのはものすごく早く、20分ほど待ったら、もう僕が中に入る順番になっていました。
 僕の想像では、ホームも人が溢れていて大変なことになっているのかと思ったら、なんと、全てのお客さんを改札で止めて、到着した電車のお客さんが改札を出きってから、一斉に電車に乗れる分の人数だけを中に入れていたのです。うひゃぁーーーっ、思いつかなかったなぁ、このオペレーションっ!!いやぁ、これなら混乱や事故無くお客さんを誘導できるわけですよ。すげぇっ!!お見事っ!!
 で、僕の番。
 ロープが解かれてPASMOをかざそうとしたら、なんと、自動改札の電気が消えており、「そのままお通りください」の文字。うひゃぁぁぁっ!!タダっ?!……と、これも、考えてみたら、定期が切れてたりチャージが足りなかったりした人が立ち止まっただけでパニックになってしまう可能性があるための緊急時オペレーションなのでしょう。もう、いちいち勉強になるし、本当に京王線ユーザーで良かった、と感動。←他社線がどうだったのか知らないで言ってますが。
 ホームを走る人もなく、みんなが、整然と電車に乗っていきます。
 が、これもおそらく途中駅、主に下北沢から乗ってくる人たちのことを考えてのことだと思うのですが、ぎゅうぎゅうの満員になる前に扉が閉まり、発車。これまたナイス判断と感心。
 案の定、下北沢では小田急乗り換えの人たちが降りて、かわりにどっさり人が乗ってきて超満員。
 明大前で乗り換え。京王線のホームは、大きな混雑無し。時計を見ると、1時45分。もうこんな時間だったのか。
 やがて各駅停車高尾山口行きが到着。「後続の列車が新宿駅を出たら発車します」とのアナウンス。これまた、ホームに人を溢れさせないための緊急対応なのでしょう。
 適度に満員、というくらいで発車。ようやく緊張が解けました。
 
 2時半頃にようやく帰宅。劇場から3時間半。
 すぐに、寝室を確認。妻も、こどもたちもすやすやと眠っておりました。が、いつもだと二段ベットの上の段で寝ている二男が、妻と長女・みうたんといっしょに眠っておりました。恐かったのでしょう。
 そして、その周りには避難袋。
 実は、こどもができてから、僕はいろんな事態に備えていろんなものを備蓄してきました。地震はもちろん、新型インフルエンザのパンデミックで外に出られなくなった時のため、など。なので、食料も水も懐中電灯も、家族5人が3日間は過ごせるように常時用意しています。普段は「じゃまだなー」などと思ったりしていたのですが、本当に役に立ってしまい、よかったのやらなんやら。よかったんですね。
 
 みんなの平静を確認して、コックピットへ。
 テレビでもネットでも、劇場にいた時点よりも状況がかなり変わってきておりました。想像していた事態を遙かに超える巨大地震で、しかも津波の巨大さも尋常ではないということも。
 情報を入手しながら、その時点でもまだ翌日の14時の回を行うためにはどうすればいいか、と考えていました。
 
 が。
 午前4時頃、今度は長野県北部で震度6強。後から長野県栄村が大被害が出ていることがわかる、いまだにほとんど報道されていない、東北関東大地震とはおそらく別な大地震が起きたのです。東京は震度2。
 この時点では別な地震とは思わず、宮城、茨城に続く余震であると思っておりました。

 が、この地震で僕は翌日と翌々日の公演中止を決意しました。本震が巨大だったので、こういう大型の余震がしばらくは続くだろう、また震度5が銀座に来たら、劇場は安全とは言え、パニックになることは間違いない。そして、また帰宅の手段が断たれてしまうかもしれない。自分たちはやればできるけど、おそらく東北ではたくさんの被害が出ているのは間違いないし(この時点ではまだ死者・行方不明者1000人、と報道されていました)、精神的にお客さんが芝居どころではないだろう、と。
 
 なにしろ明け方だったので、劇団員にも社員にも相談できず、しかし一刻も早く発表するべきだ、と判断し、僕の一存で「土日公演中止」のメールを関係者全員に送りました。
 そして、4時39分、公演中止のブログをアップ。
 
 そのあたりから、Twitter上にネガティヴな書き込みや、デマが乱れ飛んできました。そして、不安を訴える人たちのつぶやきも。
 我慢ならず、僕はネガティヴツイートに反論するのではなく、とにかく元気が出ること、明日が楽しみになるようなことをつぶやき続けよう、と決意しました。
 朝、7時前にそのままデスクの前で眠り込んでしまい、気づいたら10時。
 各方面に連絡を取り、あらためて公演中止の告知の徹底を指示。
 
 長い1日が終った瞬間でした。
 


2011-04-02 22:39  nice!(5)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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小さな心を守ってあげましょう。 [東日本大震災]

 ウチの両親は岩手県盛岡市在住なのですが、僕としては心配なので盛岡に行こうと思っていた矢先に、逆に父が仕事で東京に来てしまいました。
 秋田新幹線で秋田へ、そこから空港まで1時間半、そこから東京まではあっという間だった、とのこと。
 
 ウチに帰ってくる前に弟の家に寄ったらしく、ウチには、弟の運転する車で帰ってきました。
 
 生きて再開できたことを、素直に喜び、みんなで情報交換など。
 翌日の夕食は、体調が良くなかったヨメを置いて、父、僕、長男、二男、長女という5人で外食に出かけました。
 
 長女・みうたん(5歳)が大好きなお蕎麦屋さん。
 
 席に着いて、オーダーを済ませると、僕の横に座っていたみうたんがテーブルにうつ伏しているのに気づきました。
 「どうしたの?」と声を掛けるとゆっくり顔をあげました。
 すると、目に涙をいっぱいにためて「おかあさんがいない」とつぶやくやいなや、声をあげて泣き出してしまいました。
 
 今まで、おかあさん無しで、何度となく僕と二人や、おじいちゃん、おばあちゃんと出かけたり、外泊もしたりしてきたことがあるのですが、こんなことは一度もありませんでした。
 
 だっこして、抱きしめて、すぐにヨメに電話をかけてみうたんにかわりました。
 「おかあさん……」と話しかけると、ずっとヨメがみうたんに話しかけています。しばらくヨメの声を聞いて、電話を切り、また僕にしがみついて泣き始めました。
 
 しばらく泣き続けた後、僕のコンパクトデジカメに録画してあった、みうたんが歌を歌っているムービーを見せてあげたらそっちに集中。次第に、元気が戻ってきました。
 
 今回の大震災。
 津波や地震の映像をTVで流し続けているのを見続けてきて、それについてみうたんからはなんのコメントもなく、「わかってないんだろうなぁ」と思って来たのです。画面をほとんど見ないでマイペースで遊んでいたので。
 しかし、やはり、見ていたんですね。
 
 おにいちゃんがへまをやらかして僕に叱られている時も、間に入ってきて楽しいことを言おうとするみうたん。
 僕とヨメが真剣な話をしているときも、間に入ってきておもしろいことをしようとするみうたん。
 父と僕と弟が深刻な話をしているときも、静かにお絵描きをして、「見て見て!!」と描いた絵をみせてくれるみうたん。
 
 いつもウチの家族を明るくしてくれてきたみうたんの小さな心にも、実は傷が付いていたのですね。
 
 お蕎麦屋さんを出てからは、もういつものみうたん。
 「おかあさんにおみやげ買って帰ろうっ!!」と、お花屋さんでチューリップの切り花を選びました。
 
 小さいお子さんをお持ちのみなさん。
 震災や原発のニュースも大切ですが、子供たちのために楽しいTVやDVDを見せてあげてください。
 そして、いつもにも増して、ぎゅーっと抱きしめてあげてください。
 そして、お出かけしてあげてください。
 そして、いつも以上に、いっしょに遊んであげてください。
 彼らの時代になったとき、きっと2011年3月11日のことから学んだことが活かされて素敵な日本になっていてもらうためにも。


2011-04-04 10:30  nice!(3)  コメント(3)  トラックバック(0) 
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義援金振込完了のお知らせ。 [東日本大震災]

 ご報告が遅れまして申し訳ありません。4月2日の日記( http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-04-02 )にご報告させていただいた義援金の送り先への振込を、4月7日に済ませました。


 各自治体にお手間を取らせて申し訳ないと思いながら、このお金はお客さんたちからお預かりしたお金であって僕たちのお金じゃないので、「受領書」をお願いいたしました。が、取り急ぎ、ウェブから送金したのでその画面のハードコピーを添付しておきます。


宮城県
miyagi.jpg

岩手県
iwate.jpg

福島県
fukushima.jpg

茨城県
ibaraki.jpg


2011-04-09 12:56  nice!(8)  コメント(1)  トラックバック(1) 
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巨大地震から2カ月の日記をまとめました。西川退院写真付き!! [東日本大震災]

 3月11日の巨大地震から2カ月が過ぎました。
 あの頃、僕はどうしていたのか。どんなことを考えていたのか。
 それをあらためて確認しようとしたら、So-netブログには「時系列での記事の一覧表示」という機能が無いことに気づきました。
 なので、自分で一つ一つ確認しながらこの2カ月に書いたことをまとめてみました。
 
 こんな、いろんなことを抱えながら5月19日の『水平線の歩き方』+『ヒア・カムズ・ザ・サン』大阪公演初日に向かいます。
 大阪初日でようやく、僕たちを支えてくださるお客さんたちとお会いすることができます。
 その日を迎えるのが、今から心から楽しみです。
 
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★3月11日(金)14:46
宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が発生し、宮城県北部で震度7を観測。東京でも、震度5強。
この地震により巨大津波が発生し、北海道から関東まで600km以上に及ぶ地域で甚大な津波の被害が発生しました。
茨城・千葉・東京でも地盤の液状化による被害が続出(後からわかったことですが)。
翌日には全く別な「長野県栄村地震」や、数日後に静岡県の「富士宮地震」も発生。
当時、「日本沈没か?」などという恐怖を煽るような発言がネット上には目立ちました。
原子力発電所の被災による二次災害も加わり、日本中が不安に包まれました。

しかし、キャラメルボックスは「ル テアトル銀座」で『夏への扉』の公演中。
地震と向き合いながら、できることをし続けました。
そんな時期の、僕の日記のまとめです。

■3月11日(金)16:55
19時の回の公演中止発表
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-11

■3月11日(金)20:17
翌土曜日に開演できるかどうか検討中
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-11-1

■3月12日(土)04:39
土日の公演中止決定
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-12

■3月14日(月)
公演再開、そして「出演者全員によるサイン入り色紙販売」
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-14

■3月14日(月)
中止公演の振替用に追加公演決定。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-14-1

■3月17日(木)
「こんな時」だからこその、エンターテインメントの必要性。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-17-1

■3月17日(木)
「大規模停電の危険」の中、開演。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-17-2

■3月19日(土)
巨大地震から1週間。東京も被災地だった。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-19

■3月18日(金)
義援金DVD、急遽発売。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-19-1

■3月20日(日)
前説寸前に震度3。揺れている中での前説。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-20

■3月21日(月)
「みんなっ!!外に出ましょうっ!!」〜家に籠もっていないで消費を。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-21

■3月22日(火)
「銀座の元気に会いに来てっ!!」〜こんな時だからこそキャラメルボックスに!!
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-22

■3月23日(水)
前説に出ようとしたら震度1。そしてこれからどうするのか。地震が怖い方への様々な対処方法。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-23-1

■3月24日(木)
『夏への扉』払い戻し方法のご提案。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-24-1

■3月26日(土)
休業中の東京ディズニーリゾートの皆さん、乙武洋匡さん、有川浩さんが、『夏への扉』にご来場。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-26

■3月27日(日)
『夏への扉』千秋楽前日。僕が今やっていることに「違和感」や「反対意見」がある方もメールを。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-27

■3月27日(日)
『夏への扉』千秋楽終演速報。募金総額は4,591,307円。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-27-1

■3月31日(木)
『夏への扉』終了。そしてキャラメルボックスの覚悟。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-03-31

■4月2日(土)
3月14日に書いた3月11日地震当日の僕
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-04-02-2

■4月2日(土)
『賢治島探検記』脚本無料貸し出しのお知らせ
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-04-02-1

■4月11日(月)
劇団存続の危機・緊急公演開催の速報
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-04-11

■4月13日(水)
キャラメルボックス商品券「プリペイドチケット」発売発表
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-04-13

■4月22日(金)
西川浩幸入院と『ヒア・カムズ・ザ・サン』キャスト変更
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-04-22

■4月25日(月)
緊急公演上演のお知らせと第1弾『賢治島探検記』詳細発表
http://www.caramelbox.com/stage/kinkyu2011/index.html

■5月9日(月)
緊急公演第2弾『銀河旋律』の詳細発表
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-05-09

■5月9日(月)
西川浩幸、退院決定。
http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2011-05-09-1


IMG_2984.jpg
5月11日、10日に退院した翌日、なんと早くも
キャラメルボックス事務所に現れましたっ!!


2011-05-12 00:12  nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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巨大地震から三ヶ月めの今日、思うこと。 [東日本大震災]

 あの巨大地震から3ヶ月目の14:46が来ました。
 地震、津波で亡くなられた方々の冥福をお祈りして、本番中の劇団員たちを代表して黙祷をさせていただきました。

 今まで僕は、今回の震災と津波被害に関して、自分の身の回りのことを中心に書いてきました。それはなぜならば、それを書き始めると僕が自分であえて書かないことにしている「政治」のことに繋がらざるを得ないからです。心の中では、三ヶ月間変わらない怒りが沸騰したままですが、それはそういうことを専門にしている方々にお任せしたいと思います。
 
 今日の13時開演の『水平線の歩き方』が終った後にロビーにいたら、原発から10km圏内で被災していわき市に避難していたというお客さんが来てくださっていて、お話しておりました。
 そんな状況なのに、以前に予約した『サンタクロースが歌ってくれた』のDVDの料金を払ってなかったので今払いたい、とのこと。
 「そんなのいつでもいいですから」と申し上げたら、「担当の井上さんにメールをしたら、やはりそうおっしゃってくださって。井上さんからのメールがとても優しくて、いつも読んでいました」と。
 一通のメールがそんなにお役に立てていたなんて。
 
 くれぐれも申し上げますが、キャラメルボックス製作部内で、特に「震災関係でお支払いができなくなった方の支払期限は延期していい」とか「いつでもいい、って伝えるように」なんていうコンセンサスはありませんで。もちろんチケット料金は所定のキャンセル手続きを行ってきましたが、グッズの通販については実は僕は思い至っておりませんでした。
 が、ちゃんと担当者は「いつでもいい」とお伝えしていたわけで。……せめて「落ちついたらでけっこうです」くらいにしておくべきでしょうが……まぁいいやっ!!
 しかし、そう答えるのがあたりまえのことだと僕も思うのですが、「決められたこと」だけじゃなくて、相手の方のことをちゃんと思った臨機応変な対応がちゃんとなされていたことを、僕は誇りに思います。
 
 で。劇団の製作部の現場レベルでもこういうことができているというのに、国を引っ張っていくはずの人たちと、その人たちの足を引っ張っている人たち、本当に、本当に、しっかりしてください。ひとりひとりを見つめてください。「2万人以上が亡くなったり行方不明になった大災害」じゃありません。「災害によって亡くなった人や行方不明になったままの人がいる事件が2万件以上起きた(ている)」んです。
 そのひとりひとりのこと、そして亡くなったり行方不明になっただけではなく、1950年代から「絶対安全」と国策として行われてきた原子力発電の事故によって住むところを追われたり仕事を奪われたひとりひとりのこと。これらを全部なんとかしなければならない時に、立場の違いや意見の違いを主張し合うのはやめましょうよ。ひとつになってください。お願いします。
 
 というわけで、政治家じゃない上に東京在住の僕らとしてできることは。
 
 東北に比べると直接の地震や津波の被害は無かったわけですが、3月11日当日の交通網マヒによる「帰宅困難」の事態やその後の「計画停電」、目に見えない放射性物質の恐怖、そして原発の事故から目を離させようとしているかのような「節電ムード」。それらによって、夜の繁華街や観光地は閑散とし、飲食業や宿泊業界では倒産が相次いでいます。これはもう、完全に二次災害です。自分たちだってその寸前にいるわけですが、現時点ではなんとか皆さんのおかげで踏みとどまっていられております。
 
 「明日がどうなるかわからない」という今。
 
 しかしそれは、実は今に始まったことじゃない、ということを思いだしてください。
 東海地震だって、いつ来てもおかしくありません。富士山の噴火の可能性だってあります。新種のウイルスによるパンデミックだっていつ起きるかわかりません。つまり、この大震災が起きる前までだって、実は同じくらいの危機に対する心の準備をしていなければならなかったはずなのです。それらから、なんとなくうまいこと目をそらしてきたのに、いきなり目の前に逃れられない現実の大災害を見せつけられてどうしていいかわからなくなってしまったのだと思います。
 だからこそ。
 この地球上に住んでいる限り、完全に安全な場所など無いわけですから、最悪の事態に対する備えはきっちりしつつ、食や旅行や演劇を楽しんで自分を喜ばせてあげ、いざというときにその事態に敢然と立ち向かう準備をしておかなければならないと思うのです。
 
 「笑う」と、脳内ホルモン「ペプチド」が分泌されて免疫力がアップする、というのは有名な話です。
 また、「泣く」と涙がストレス物質を排出する、というのも。
 つまり、演劇は、この最高のストレスにさらされた状態の東日本の人たちを救うことができるとてつもなく重要なものだ、と僕は信じて、これからもバカみたいに芝居をやり続けていきたいと思います。

 あなたの周りで、もし漠然とした恐怖に震えている方がいらっしゃったら、本気でキャラメルボックスを薦めてください。きっとお役に立てると思います。


2011-06-11 19:35  nice!(7)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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二次・三次の義援金送金のご報告 [東日本大震災]

 ご報告が遅れました。お客様からお預かりした義援金送金のご報告です。
 
(1)『夏への扉』のキャンセル料金を東日本大震災義援金に充てて欲しい、と申し出てくださった方の後半分合計377,000円にキャラメルボックスから23,000円を足して400,000円を、4月26日に福島県南相馬市災害対策本部に送金いたしました。
南相馬.jpg
 ■福島県南相馬市の義援金受け入れについて→→→ http://www.city.minamisoma.lg.jp/shinsai2/gienkin.jsp 
 
(2)ハーフタイムシアター公演で販売した「義援金ポストカード(1枚150円)」は、2,100枚ご購入いただき、合計315,000円になりました。
(3)募金箱にいただいた金額は、ハーフタイムシアター 319,796円、『銀河旋律』58,272円。
(4)(1)の後にお申し出いただいた義援金充当キャンセル1件6,000円
 ……以上、(2)と(3)と(4)の合計金額は、699,068円。ここに、932円とポストカードの原価分をキャラメルボックスが負担して、合計700,000円を、8月5日に岩手県大槌町災害義援金窓口に送金いたしました。
大槌.jpg
 ■岩手県大槌町災害義援金窓口→→→ http://otsuchi.web.fc2.com/new/main/page_sinnsaijouhou.html#label03
 
 今公演『降りそそぐ百万粒の雨さえも』でも、売上げの全額を義援金に充てさせていただく「義援金ポストカード」を販売しております。是非、ご購入をお願いいたします。


2011-08-06 20:19  nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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巨大地震の日から5カ月が経ちました。まだ5カ月。 [東日本大震災]

 巨大地震の日から5カ月が経ちました。
 
 まだ5カ月。
 
 キャラメルボックスは『夏への扉』公演期間中に銀座で地震に遭い、余震が続く中、翌週火曜日に公演を再開。
 そんな時に地震の情報を入手するために購入した地デジの小さいブラビア(テレビ)は、今でも僕の楽屋のデスクの上のMacの右側に有り、いつ緊急地震速報を受信しても視界に入るようにスタンドに付けたiPhoneとドコモの携帯も左側に。
 3月15日以来、上演中の緊張感は全く変わっておりません。
 
 まさかこんなに長く余震が続こうとは思ってもみませんでした。
 
 もちろん、東京では実際に起きる地震は大きくて2とか3なので被害が出ているわけではありませんが、被災した地域、主に福島と茨城ではいまだに震度5クラスが襲ってくるわけで、そんな中で復興に取り組んでいらっしゃる皆さんの心の中を思うと地球に対して怒りさえ湧いてきます。
 
 そして、東京の人たちのことも。
 今公演が開幕してから、ロビーでお客さんと話していたら、やはり平日の夜は恐い、と。
 いつ地震で停電になって帰れなくなるかわからない。
 いつ電力消費量が急激に増えて計画停電で電車が止まるかわからない、ましてや大規模停電が起きて帰れなくなるかもしれない。
 ……今でも、そうおっしゃる方がいらっしゃるのです。

 今公演のパンフレットの裏にも書きましたが、これはもう、完全に「心の被災」です。しかも、作られたもの。

 僕が東京電力の社長だったら「二度と計画停電はやりません。大口需要家の皆様の全面的な御協力により、現在は供給力が足りなくなる可能性の方が低いからです。私たちも電力供給の努力を最大限に行いますので、そのかわりもし万が一、いざという時は、皆様に節電への御協力をお願いいたします」などと、率先して頭を下げると思います。が、そんなことはしない。「節電しましょう」と言っているのは、テレビ番組。実際に住民(電力利用市民)に恐怖感を与えている会社のリーダーは、表に出てこようとしない。
 
 そして、「節電しましょう」と言っているTV番組では、液晶タイプでさえ1時間あたり200Wは使うであろうテレビの電源をみんなが一斉に切るのがエアコンの温度を上げるよりも圧倒的に節電になるはずなのに、本末転倒もはなはだしいというか。僕がテレビ局の社長だったら「テレビはとても電力を使います。みなさん、昼間のピークタイムはラジオをご利用ください」とお知らせすると思います。が、そんなこともしない。
 
 原発のことなどを書き始めるとキリが無いので書きませんが、僕らはエアコンを切ってでも、ロウソクや懐中電灯の明かりで芝居を上演してでも究極の節電をする覚悟はありますから、日本国政府さま、本当にお願いです、地震と津波と原発と、そして計画停電のせいで日常を、そして心の安静を失った人たちに、もっともっと、誠心誠意、対応していただきたい。
 
 怒っている人たちの声だけを聞くのでは無く、明日どころか今日をどうしていいのかわからない、言葉を上げたくても上げ方もわからないで呆然としている、という人たちが何万人もいらっしゃる、その声を聞く努力をしていただきたい。その声を聞く努力を、同じく被災者である地元自治体やボランティアの人たちに任せるなんてバカなことをしたり、マスコミに任せたりしないで、日本国政府としてやっていただきたい。徹底的に苦しみの叫びに耳を傾けていただきたい。
 そしてそれを日本国民みんなで共有して支えていきましょうよ。
 
 神戸は、5カ月経った頃にはもっと復旧していた記憶があります。新幹線は3カ月後には全線復旧していたはず。しかし、東北新幹線はやっと今日です。
 いくら被害の範囲が比較にならないほど広いとか被害の質が違うとは言っても、同じ日本に住んでいながらこんなに差が出るなんて日本国憲法の精神に照らしても間違っていると思います。
 
 本当に本当に、早く。一刻も早く。全力で東北の皆さんと地震の被害を受けた人たちを救い出しましょうよ。
 心の部分は、なんとか僕たちでもお役に立てるかと思いますので、全力で持ちこたえながら続けていきます。
 物理的なところは、是非、日本国政府の皆様、よろしくお願いいたします。
 


2011-08-12 00:56  nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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あの日から6カ月。10月、東北に向かいます。御協力をお願いいたします。 [東日本大震災]

 9月11日14:46、巨大地震から6カ月が経ちました。

 本番中のみんなに代わって、僕が黙祷いたしました。
 
 地震・津波・液状化、そして原発事故被害者の皆さんのことを、電力不足と余震に怯える東京で見守ってきた半年でした。

 自分たちが東京で受けた被害は、バカみたいに芝居をやることをお客さんに受け入れていただいてなんとか乗り越え、次は東北を応援することにシフトしていく段階にやっと届きました。
 
 ボランティアに行きたくてもその余裕さえ無い半年でしたが、ようやく10月に「東北応援無料ツアー」にうかがえることになりました。
 
 ■東北応援無料ツアー『賢治島探検記』
 http://www.caramelbox.com/stage/tohoku/tour/
 
 春から、宮沢賢治さんにまつわる作品のDVDを購入していただく「キャラメルボックス、東北に行くぞ!!」キャンペーンをやってきて、その売上げもかなり上がってきました。
 
 ■「キャラメルボックス、東北に行くぞ!!」キャンペーン
 期間限定復刻 宮沢賢治関連作品DVD
 『ケンジ先生1998』 http://www.bidders.co.jp/pitem/118125335
 『ブリザード・ミュージック 2001』 http://www.bidders.co.jp/pitem/118125313
 『賢治島探検記 2006』 http://www.bidders.co.jp/pitem/118125367
 
 そして、まだまだ足りない東北公演資金を集めるために、大阪でも『賢治島探検記』を上演します。
 
 ■キャラメルボックス東北ツアー壮行会
  『賢治島探検記』東北バージョン in BRAVA!
  10月4日(火)/5日(水) イオン化粧品 シアターBRAVA!
  http://www.caramelbox.com/stage/tohoku/index.html
  ※チケットは、まだまだまだまだあります。是非、ご予約をお願いいたします。
  
 僕たちができることは、演劇だけ。なのに、阪神淡路大震災の後は「演劇のビデオを上映する」ということしかできず、無力感を覚えたので、この『賢治島探検記』を作って、いつか来る災害に備えておりました。それをなんと、賢治さんのふるさとの皆さんにお見せすることになろうとは。「縁」としか思えません。阪神淡路大震災の発生時、僕らは『ブリザード・ミュージック』公演のため盛岡におりまして、そして今日は神戸におりますし。
 
 キャラメルボックスの芝居が、果たして被災地の皆さんにどれだけ受け入れられるかわかりませんが、精鋭の出演者で楽しい舞台をお届けしてこようと思います。
 東北公演、大阪公演ともに、皆さんの力が必要です。
 是非、様々な御協力をお願いいたします。
 
 加藤メールアドレス katoh@caramelbox.com
 劇団宛てメール support@caramelbox.com


2011-09-11 15:23  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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3月11日から8カ月が過ぎました。 [東日本大震災]

 巨大地震から8カ月が過ぎました。
 
 先月の今日は「東北応援無料ツアー『賢治島探検記』」の最中で塩竈にいたわけですが、今はもう『流星ワゴン』初日寸前で追い込みの稽古中。不思議な感じです。
 
 東北ツアー中には書かなかったのですが、実は僕には懸念がありました。
 僕らのツアーの開演中に地震が起きる可能性が高い、ということ。ツアーに出る寸前に、僕らが公演を行う福島県いわき市小名浜のすぐ近くが震源の大きめの地震が何回か起きたりもしていました。
 春以降の東京公演では、万全の耐震対策が施された劇場での上演で、なおかつ多数の製作部のスタッフや劇場スタッフがみんなで「万が一」に備える体制のもと、お客さんをお迎えしていたので、ある程度「安心」していることができました。
 
 しかし、このツアーではスタッフは最小限、そして公演を行う会場は下見もしていないところばかり。もちろん、あの巨大地震で壊れなかったところばかりですから、そういう意味では「安心」してもよかったのかもしれませんが、地震で恐いのはパニックですから、僕ら少人数のスタッフでは対応しきれないのではないか、という不安があったのです。
 ところが、行ってみたら、僕らがお願いしたわけではないのに、たくさんの現地の皆さんが手伝いに来てくださったのです。
 そして、地震のことを相談しても「もう慣れっこですから慌てませんよ、誰も」と。……そうか、僕らなんかより遙かに恐い思いをし続けていらした皆さん相手に、僕なんかが心配してもしょうがなかったんだ……そう気付きました。
 なので、僕らは腹を据えて芝居に集中しました。結果的には、上演中には一度も地震は起きませんでした。
 
 毎日、どんなお客さんがいらっしゃるのかわからないので、僕と畑中が前説に出て「偵察」。普通に前説をして雰囲気をほぐしながら、小ネタで笑っていただけるかどうかをチェックしたり。
 芝居が始まってからの「関門」は、坂口理恵が、自分がセロを演じます、と語るところ。ここで笑いが来ると、あとはもう、お客さんたちはフィクションの世界にすんなりと入ってきてくださるのです。が、さすが成井豊の脚本の仕掛け。全ての会場で、この「関門」は突破されて、全ての会場で暖かいカーテンコールの拍手をいただくことができました。
 
 あのツアーをやってみて、実感しました。
 地震と津波が起きた直後は、「命」を守ること。次に「食」の確保。次に「衣」、つまり着るものの確保。次に「住」、つまり暮らす場所の確保。そして「お金=仕事」の確保。そういうことをしているうちにあっという間に半年が経ってしまった、という時期に、僕たちが東北に行った、というタイミングだったと思います。
 何人もの方から「地震の後、初めて笑ったかもしれない」とか「今まで、笑う、ということはいけないことだと思ってた」と言われました。そうでしょうね、まさに「必死」なままだったわけですものね。
 
 東京に戻ってから、テレビを見ているとものすごい違和感を感じました。
 全てが流されて、何もなくなっている街、高台にずらりと並んだ仮設住宅、高々と積み上げられたがれきの山、それが東北沿岸部の「あたりまえ」なのに、こちらではもう「かなり復旧が進んでるっぽい」という空気が漂い始めている。
 そんなんじゃない、全然まだなんだ、ということを、僕は会う人会う人に伝えてきました。しかし「そうなんですよね、現地に行った人はみんなそうおっしゃるんですよね」と、やはりなんとなく他人事になってて。
 もちろん、いつまでも震災の悲惨さを伝え続けるというのにも、マスコミには無理があるのでしょうけれど、いまだに国会でうじゃうじゃやっている姿を見せられると、「国」の無力さを思い知らされると同時に、結局立ち上がれる人が立ち上がって自力でできることをやり始めなければ何も前には進まないんだ、ということを覚悟させられます。
 
 東北から帰って来てしばらくは、実は気管支炎になって苦しんでおりました。苦しむと同時に、これから何をするべきか、次に東北に対して何ができるのか、を考え続けました。
 しかし、ある日、はたと気付きました。
 いかん、後ろを向いてるぞ、と。
 東北に対して何ができるか、は、後からついてくること。自分の専門は、いつでも200%元気でいること。そしてその状態でお客さんに感動していただける芝居を創ること。そしてそれを広めていくこと。あやうく、それをないがしろにしそうになっておりました。
 
 良い気分転換のきっかけになったのが、『飛ぶ教室』の北九州公演でした。
 福岡での大地震を体験した人たちと東北の話をしたりしつつ、僕はとにかく毎食ラーメンを食べ続けました。それが僕のかつての日常だったからです。4日で14軒。阿呆だと思われるかもしれません。首相をやめた途端にお遍路に行くと言い出したあの人かよっ、とも思われるかもしれません。しかし、この8カ月、ラーメンの数が減っていたのも事実です。「それどころじゃない」ままここまで来たのですが、それは僕じゃない、と思い直したのです。
 そうしなければ、逆に東北を支えていくことができなくなる、と。
 そして、『飛ぶ教室』を見守りました。東北ツアー中に初日を開けた芝居のため、僕が稽古にもまったく参加せずに始まった芝居、というのはおそらく初めて。僕がまったく関わっていない、若手中心の芝居は、溌剌としていて、彼らの必死の演技から僕が力をもらってしまいました。
 
 それが奏功して、帰京後は『流星ワゴン』の選曲(曲探し)に集中することができています。
 この作品で、たくさんの人を元気にしなければならないのです、僕たちは。
 出演者12人中9人が在籍10年以上のベテラン。熱の籠もった稽古が続いています。東北ツアー直後にこっちの稽古場に入ったメンバーもいます。「魔女」こと坂口は、引き続き重要な役を担当しています。あのツアーの座長が、冬もみんなを引っ張るのです。これは強いですよ。
 
 期せずして、僕らの東北ツアー後の一カ月、余震はかなり落ちついてきました。震度4が2回あったくらいで、あとは3以下。それまでの半年には考えられない少なさです。……あ、僕は今でも毎日、その日に起きた地震をリアルタイムでチェックしております。東日本に4以上の地震が起きた場合は、即座にTwitterに登場いたしますので、不安を感じた方は是非声を掛けてくださいね。
 
 東北ツアーの会場で、「次はちゃんとお金を払って東京に観に行きますね」と何人ものお客さんから言われました。
 これからは、「衣食住」の後、つまり、「心」を取り戻していただく時期。
 エンターテインメントの出番です。
 東北のみなさんの笑顔に恥じない舞台を創ります。創り続けます。直接おうかがいする機会も、なんとか用意したいと思います。
 冬が近づき、大変な時期がまたやってきますが、いつも皆さんのことを忘れていない人間がちゃんとここにいます。一緒に、次の一歩を踏み出すために心の窓を開けましょう。


2011-11-11 15:24  nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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3月11日の巨大地震・津波から9ヵ月が経ちました。 [東日本大震災]

 3月11日の巨大地震・津波から9ヵ月が経ちました。
 
 テレビで、更地のようになった津波に流された沿岸の町が映っても、あれは過去のことだ、と思っている人もいらっしゃるかもしれませんが、冗談じゃない、流された街はがれきが撤去されて、引き取り手が無いまま山積みにされ、町まるごと更地のまま。いまだにそのままで、人々は仮設住宅で必死で生きているのです。
 
 災害直後のような直接物資を送る支援ではなく、今大切なのは被災した方々の「経済」、つまり「生活」を守る仕事や収入源を用意したり整備したりすることに移ってきておりますね。
 直接の被害が無かった地域の人間としてできることは、ボランティアとして何かの手伝いにいくこともよいですが、「観光」に行くことで被災地の現実をあらためて自分の目で見てくることや、たっぷりお金を使ってくることがベストなのでは無いかと思います。たくさんの人が亡くなったところに「観光」に行くことには不謹慎という感情がはたらいて抵抗があるかもしれませんが、それ以上に、生き残った方々を応援することや、東北の現状を自分の周囲の人たちに伝え続けていくことはとても重要だと思います。
 
 福島に関しては、ついに自衛隊による除染活動が始まりました。途方もなく、気が遠くなるような作業ですね。頭が下がります。

 僕らとしては、自分たちの間接的な被災をお客さまの力で4ヶ月で乗り越えさせていただき、7ヶ月目に東北応援無料ツアーを行わせていただくことができました。東北ツアーで行った先でも、「次は観光でのんびり来てくださいね」とたくさんの方に言われました。
 
 ところが。9ヶ月目の今、なんとその東北ツアーで出会った方々がサンシャイン劇場にご来場くださり、再会を果たしています。
 運良く生活が落ち着いた方々にとって、次に必要なのは心の栄養なのですね。
 特に今回の『流星ワゴン』は家族の絆の物語。震災でご家族を亡くされた方ともお話ししたのですが、『賢治島探検記』では「あの人は銀河鉄道に乗っていったんだなぁ」と、あらためて心の整理ができ、『流星ワゴン』では「いつも近くで見てくれているんだなぁ」と、優しい気持ちになれた、とのこと。
 キャラメルボックスの連中の全身全霊の演技が、少しずつ、彼女の心の癒しのお役に立てているようです。
 
 被害に遭われた方々のこと、地域のことは決して忘れずに、一歩ずつ前に向かっていくためのお手伝いを、これからもコツコツと続けていきたいと思います。
 
 今日の14:46、キャラメルボックス、ネビュラプロジェクトを代表して黙祷いたしました。
 やすらかにおやすみください。


2011-12-11 15:24  nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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