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11回目の1月17日。 [阪神・淡路大震災]

 1月17日。
 11回目のこの日がやってきました。
 10年目の去年が過ぎてから、ようやく現実のこととしてとらえられるようになってきたように思います。
 11年前のあの阪神淡路大震災の日に盛岡公演の仕込みをしていた時のことが、今でも昨日のことのようにリアルに思い出され、テレビが映し出す神戸の映像が、今でも鮮明に瞳の裏側に浮かびます。何年経った、と毎年言われますが、あまり現実感はありません。
 東京で街を歩いていても、今でも「このビルは危ない」「あのビルは絶対に倒れる」と考えながら歩くので、どうしても目的地に行くためには通らなければいけない道でも遠回りをしてしまったりするのが、癖になってしまいました。
 劇場で公演中も、緊急連絡用の高性能トランシーバーを導入したり、昨年は実際にサンシャイン劇場で避難訓練をしたり、新神戸オリエンタル劇場でも緊急避難用の誘導路の見学をさせていただいたり、AEDを導入したりと、「万が一」に備える具体的な準備ができるようになってきました。
 具体的な準備ができるようになるまでに要した時間は何をしていたのか、と、今になってやっと思えます。
 きっと、あの大震災の残した傷跡に、知らない間に自分も呑み込まれていたのではないか、と思うのです。
 そんなことでは、100人近い関係者が動くキャラメルボックスや、ましてやキャラメルボックス公演に来てくださる1ステージで何百人というお客さまを守ることなどできはしなかったはずなのに。
 この国に住んでいる限りは、いや、地球上に住んでいる限りは、いつかは必ずやってくる地震という天災。それは、人知を越えるエネルギーを持ち、いかなる準備をしてもかなわないのかもしれません。
 しかし、地震が起きることを止めることができなくても、起きてしまった後にどう動くのか、それをシミュレーションしてできうる限りのことをしておくのが、人類の叡智だと思うのです。
 誰かがやってくれるだろう、とみんなが思っていては何も先には進みません。
 まず、自分は何をできるのか。
 次に、自分は人に何を伝えられるのか。
 それを、いつもいつも、考え続けていなければならないのだと思います。
 
 あの阪神淡路大震災を体験した人たち。あの現場を目の当たりにしてしまった人たち。
 テレビを隔てて、しかし同じ時間を過ごしていた人たち。
 ひとりひとりが、あの時にもどかしく思ったいろんなことを、あえて思い出して、「次」が自分に訪れてしまったときに一体どう動くのか、それを、まずひとつひとつ実行に移して、いつもいつも再確認して、今、「それ」が来てもすぐに手が打てるようにしていなければならない、と思います。
 
 あなたは、今晩、大地震が来た瞬間にすぐに逃げられる体勢で眠っていましたか?
 逃げるときに必要なものを、すぐ近くに置いてありましたか?
 枕元に靴はありましたか?
 食料は?
 水は?
 懐中電灯は?
 
 どんな準備も虚しい、と諦めてしまうのは簡単です。
 自分の住んでいるところにはあんな地震は来ない、と無理矢理信じ込んでしまうのも幸せかもしれません。
 しかし、自分が助かることで、助からないかもしれない人を助けることができるのです。一人でも多くの人を助けるために、僕は生き残りたいと思います。
 あなたも、自分の命を守ることで、多くの人の命を守る手助けをするために、生きましょう。生き残る努力をしましょう。
 
 空港ができて、これが経済の活性化に繋がれば本当にうれしいことなのですが、神戸の経済はまだ震災前の状況には戻っていません。
 僕らも、神戸にしがみつかないで関西公演は大阪だけにしてしまえばもっと劇団経営は楽になるのかもしれません。実際、それを薦める人も多くいらっしゃいました。しかし、絶対にそんなことはしません。僕らは、神戸に育てていただき、神戸とともに歯を食いしばって頑張ってきました。神戸の皆さんにどう思われているかは別にして、僕は、誰に何を言われようとも、神戸の皆さんとお会いできる機会を1日でも、1ステージでも多くしようと、特にこの11年間は思ってきました。そして、その思いはきっと一生変わりません。
 11年目の今年に『賢治島探検記』をまたしても東京だけで再演します。演出の成井豊が美術会議で何度も念を押すのは「いつでも被災地に持って行かれるように」ということ。あの時、すぐにでも神戸に飛んでいきたかったのに何もできなかった悔しさを、忘れてはいません。「次」に何かがあったときに飛んで行かれるシミュレーションを、劇作も進めています。
 
 なんとなく元気がない、この国。この時代。
 僕は、元気づけられる側じゃなくて、元気づける側で、一生を終えたいと思います。もし、自分がその災害の渦中にいても、「がんばろうがんばろう!!」と言える人になりたいです。きっと、キャラメルボックスのメンバーはみんなそうであると思います。
 
 大きな流れの中で、おまえなんかになにができるんだ、とも思われるかもしれません。でも、最後に大事なのは「思い」です。これはもう、間違いありません。
 
 だから、朝が来ない夜は無い、と、僕は信じ続けたいと思います。
 がんばろうっ!!神戸!!


2006-01-18 13:24  nice!(7)  コメント(16)  トラックバック(9) 
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13年目の1月17日。 [阪神・淡路大震災]

 1月17日。
 またこの日がやってきました。
 1995年の阪神大震災から、13年。
 その歳に生まれた子供が、もう中学1年、ということですね。
 僕らが太平洋戦争のことを知らないのと同じように、今の小学生までは阪神大震災を知らない世代、というわけです。
 ビルが倒れる。消防車が足りなくなる。水がない。高速道路が落ちる。ビルの1階がまるごとなくなる。街がまるごと燃える。
 想像を絶する事態、とは、まさにあのことだったと思います。
 
 助けに行きたくても行かれない。助けを求めている人が多すぎて誰から助ければいいのかわからない。目の前で昨日まで元気だった人たちが亡くなっていく。
 いろんな無念が、日本列島に渦巻いた地獄の日々でした。
 
 1990年から神戸公演を行っているキャラメルボックスは、知らないうちに震災前よりも震災後の方が神戸公演歴が長くなってしまいました。でも、僕にとっては、震災前より震災後の方が、短く思えます。
 震災の数週間後に新神戸オリエンタル劇場で行った無料ビデオライブに歩いて集まってくださった皆さんとは、今でもロビーであの時の話をすることがあります。
 そして、あの時神戸にいた人たちと楽しく飲んでいても、あの日の話がぽろっと出てしまった途端に、皆さんが堰を切ったように「今ここで生きているのが不思議なくらいだった」と体験を語り始めてくださいます。
 
 あの日を、神戸にいなくとも経験した僕らは、僕らの思いを神戸に伝えていかなければならないし、神戸の人たちのまだ吐き出し切れていないあの時の恐怖や頑張りを聞き出し続けていかなければならない、と思っています。
 
 今、東京のサンシャイン劇場の副支配人をはじめとして、実は僕らの周りにはあの日、あの場所で戦った人たちがたくさんいらっしゃいます。そして、神戸には当然、九死に一生を得た人たちや、大切な人を亡くした人たちもたくさんいらっしゃいます。
 
 辛かった思い出は、忘れる必要なんてないと思います。
 
 あの日々のことがあったから、中越では、犠牲になった方もいらっしゃいますが、しかし、神戸の経験を活かしてたくさんの人たちの輪がたくさんの人たちを救うことが出来ました。
 思い出したくないけれど、思い出さなければならないし、伝えていかなければならないですよね。
 
 亡くなった、キャラメルボックス・サポーターズ・クラブのメンバーの方々もいらっしゃいました。ついその2ヶ月前にいっしょに劇場にいた方々です。
 きっと、今でも、劇場に遊びに来てくださっているのではないかと思います。
 
 僕らは、あなたたちのことを決して忘れません。
 絶対に、神戸から笑顔をなくさないように、ずっとずっとがんばります。
 でも、今日だけは、あなたたちのことを思って、涙を流させてください。
 
 そして、いつか必ずやってくるであろう関東の大震災に、万全の準備をしていきます。
 今日だけでもいいのです。皆さん、もう一度、あの震災の恐ろしさを思い出してください。記憶が薄い方も、あらためて確認してみてください。
 ひとごとではないのです。
 
 この日本という国に住んでいる限り、自分も、いつか襲われる可能性はゼロではありません。そのために、今、何をすべきか。
 
■写真で見る阪神・淡路大震災
http://www.npo.co.jp/hanshin/photo/contents.htm


2008-01-18 02:40  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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さて、明日です。14回目のの1月17日は、みんなといっしょに過ごします。 [阪神・淡路大震災]

 明日は、SHIBUYA-AXで、キャラメルボックス・ニューイヤーパーティーです。

 

 ここのところ、ニューイヤーパーティーblogと掛け持ちでいろいろとお知らせしてまいりまして、七転八倒な日々でありました。

 が、ついに明日、という今になって、急に腹が据わりました。

 

 現場で何をどうする、っていうのは、きっとスタッフがなんとかしてくれているはず。

 演奏は、プロの皆さんがちゃんとやってくれるはず。

 演奏と演奏の合間のイベントも、プロの役者達がなんとかしてくれるはず。

 

 となると、あと僕が考えることは。

 

 14年前の明日、神戸を中心とした地域で、たくさんの方が亡くなりました。

 あの日のことは、間違いなく一生忘れません。

 つい一ヶ月前までそこにいたその街が、炎に包まれている、あのニュース。

 テレビを見ながら、ぶつけようのない思いが吹き出して、早朝のホテルの部屋で嗚咽を上げ続けていました。

 

 その後、毎日、新聞に発表される亡くなった方のリストとキャラメルボックスのお客さんのリストの照合をし続けてもらいました。

 まさか、亡くなった方のおうちに、キャラメルボックスの楽しさ満載のお手紙をお送りすることはできないと思ったからです。

 

 何日かは、「今日はいらっしゃいませんでした」という報告がきていました。

 が、数日後から、「おそらく、間違いありません」という報告が来始めました。

 

 お顔もわからない、でも、1ヶ月前には同じ時間を共有したと思われる方々。

 キャラメルボックスを「好き」と思ってくださった方々。

 

 あれから、僕の中では、毎年1月17日が来るのが恐くて恐くてたまりませんでした。

 

 そして14年。

 今年の1月17日は、みんなといっしょに過ごします。

 お客さんと、劇団員と、ミュージシャンと。

 

 遠い東京にいますけど、絶対に忘れません、神戸。

 僕らの熱い思いを、あの震災で亡くなった皆さんにも届けたい。

 きっときっと、音楽は天国にも届くはず。もちろん、毎回の芝居もですけど。

 

 だから、明日は、飛び抜けて楽しい一日にしようと思います。

 

 キャラメルボックス・ニューイヤーパーティー。

 1月17日、17時開演予定ですが、早め早めでご来場ください。開場時間の16時30分から、楽しいこと満載ですので。

 

 天国のみんなは、気軽に来られますよねっ!!


2009-01-16 22:23  nice!(6)  コメント(1)  トラックバック(0) 
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15年目の1月17日。 [阪神・淡路大震災]

 奇しくも、15年前と同じような状況で楽しく飲んで(当時は盛岡にいまして、ホテルに戻ったわけですが)、帰宅しました。
 
 テレビをつけられませんね、この日のこの時間。
 
 「飲んだら書くな書くなら飲むな」が基本の僕ですので今日は飲んできたので少しにしておきますが、1月17日はHappyに過ごす、と決めたので、そういうことで。
 
 おやすみなさい。
 たくさんの魂、たくさんの命。


2010-01-17 05:18  nice!(5)  コメント(2)  トラックバック(0) 
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16年目の1月17日に思うこと。 [阪神・淡路大震災]

 今年も1月17日がやってきました。
 毎年この日が近づくと胸がキリキリします。
 何人ものお客さんや、お客さんのご家族が亡くなり、たくさんのお客さんたちの家がなくなりました。
 
 もう、今の高校生たちより下の世代は、あの日のことを伝聞でしか知らないと思います。
 でも、それでもいいので、あの日、そしてその後のことを、是非知っておいていただきたいと思います。
 
 たまたま見かけた「Gigazine」というサイトに「あの「阪神・淡路大震災」で本当は一体何が起きていたのか、その真実がよくわかるムービー集」という記事が載っておりました。僕はまだ正視できませんが、10代の方には是非ご覧いただきたいと思います。
 http://gigazine.net/news/20090117_great_hanshin_awaji_earthquake/
 
 
 それから16年。
 阪神淡路大震災の教訓を活かせ、といろんなことが行われてきてはいます。
 しかし、あの現場を見てしまっていると、別な街を歩いていても「あぁ、この一帯はひとたまりもないな」とか、「あぁ、このビルには近づかないようにしよう」という尺度で街を見るようになってしまっています。
 しかし行政としても既存の全家屋を耐震構造に改造する資金を出せるような余裕があるはずもなく、結局は住人それぞれが意識を高めるしか無いわけで。でも、意識を高めても、先立つものがなければ何もしようがなく。
 次に関東なり、他地域にあのクラスの地震が来たら、結局またたくさんの被災者が生まれるのだろうな、と絶望的な気分にもなったりもいたします。
 
 だからせめて、僕にできることは、万が一にも公演本番中に地震が来た場合には100%お客さんや劇団員・スタッフを守ること。そのための準備をしておくこと。
  
 こうやって、1人が自分の命を守ることだけではなく何人もの命を守るために少しずつ努力をしていくことでしか、たくさんの命は救えないと思うのです。
 
 皆さんも、この日を機会に何か一つ、万が一の時に自分の命を守った上で他の誰かの命を救うことができる工夫を考えてみてください。その合計が、きっと、ものすごくたくさんの人を救うことに繋がると思いますので。


2011-01-18 00:09  nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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1月20日(金)午前10:20頃から、神戸の「Kiss FM KOBE」に出演します。 [阪神・淡路大震災]

 1月20日(金)午前10:20頃から、神戸の「Kiss FM KOBE」(89.9)の「4 SEASONS」という番組( http://www.kiss-fm.co.jp/program_blog/4seasons/ )に僕が出演します。
 「1・17を忘れずに語り継ぐために」という企画のゲストです。
 実は電話出演なのですが、今録音が終ったところです。自宅からだったので、なんかテンションが低かったかもしれない、と反省中……。
 しかも、阪神淡路大震災の頃の話やそこから今までのことをもっと話をしたかったのですが、ついつい東北ツアーの話になってしまいまして。でも、東北応援無料ツアーで上演した『賢治島探検記』は阪神淡路の時の無念が発端で準備できた作品なので、神戸の皆さんの想いもいっしょに東北に持っていくことが出来た、という前提でラジオを聴いていただければ、と思います。

 ……あっ……。まだ言っちゃいけないことも口走ってますのでお楽しみにっ!!
 
 それにしても、もう16年ですか。
 このことは、17日にじっくり書きたいと思います。


2012-01-13 13:10  nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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阪神・淡路大震災から17年。 [阪神・淡路大震災]

 また、1月17日がやってきました。
 
 もう、すでに現在中学生の方はリアルタイムでは体験していない、1995年1月17日5時46分に起きた兵庫県南部地震。通称、阪神・淡路大震災。
 僕はその日、宮沢賢治さんを題材にした作品『ブリザード・ミュージック』の北ツアーで、盛岡におりました。前の晩は遅くまで飲んでいたのですが、テレビを付けっぱなしで寝てしまい、なぜか目が覚めてしまった朝6時過ぎ、ふとテレビの画面を見ると画面には燃える神戸の街が映し出されておりました。
 
 一瞬、何が起きたのかわかりませんでした。
 その2カ月前、僕たちは神戸にいました。1990年に初めて神戸公演を行い、大歓迎していただいてから「第2のホーム」と決めた神戸。その愛する街で、なんと高速道路が崩れ落ち、建物が倒れ、地域によっては大火事になっているのを、ただただ呆然と見つめていました。
 前年秋の『俺たちは志士じゃない』でアナザーフェイス公演をやった「惑星ピスタチオ」という劇団(解散)のメンバーはほとんどが神戸に住んでいるはず、と制作の人の携帯に電話をしてみると、なんと繋がり(当時はまだ携帯電話の台数が少なかったのです)、とりあえず無事、とのこと。ちょうど朝まで大阪で打ち上げをして解散した後だったので誰がどこにいるのかまだ確認できていない、と。
 
 テレビの画面を見ていると、三宮の駅近辺でさえ壊滅状態。
 戦争で爆撃されたかのような、信じられないような光景が広がっていました。
 
 しかし、あまりの被害のひどさにます何をするべきかが思い当たらず、とりあえずこの日は盛岡劇場で仕込みだったので劇場に行き、楽屋でもテレビをつけっぱなしにして情報を集めておりました。
 当時はまだインターネットは普及しておりません。キャラメルボックスのホームページができたのがこの年の夏ですから、パソコン通信があったくらい。つまり、情報源はテレビのみと言ってもいいほどでした。
 
 惑星ピスタチオの面々とは次々と連絡がとれ、安否確認ができ、全員の無事が確認されました。お風呂場で被災し、外に出られなくなっていたという人もいました。帰宅途中に電車が脱線して止まったので降りて線路の上を走って自宅に帰り、家族の安全を確認してからリュックに水のペットボトルを詰めてとって返して被災した劇団員の家まで届けに走った、という超人(もちろん腹筋善之介)もいました。
 
 動揺しながらも僕らは話し合い、こんな大災害が起きている時に芝居なんかやっている場合か、という意見もあったのですが、しかし、盛岡は揺れませんでしたし、なによりも滅多に来られる街では無いので今ここで中止してしまっては楽しみに待っていてくださった盛岡のお客さんに申し訳ない、ということで上演を決定。
 
 情報を整理していくと、被害は東は大阪府の豊中市あたりから西は明石市、南は淡路島、という範囲に大きな被害が集中。そして神戸市内でも、加納町から北側はそんなに被害が無く、新神戸オリエンタル劇場があるビルは無傷、劇場も平台が一枚倒れただけ、などということがわかってきました。
 
 翌日から、新聞に載っている亡くなった方のリストを顧客管理部のメンバーにチェックしてもらい、キャラメルボックスの顧客名簿との照らし合わせを行いました。その結果、次々と「おそらくこの方」というお名前が見つかりました。つい2カ月前、いっしょに劇場で同じ空間にいた方が。大きな喪失感。
 
 その後仙台での公演を終え、東京に戻ってから、何が出来るかを相談。
 無傷だった新神戸オリエンタル劇場では、当面、全ての公演が中止で、2月頃から無料イベントを始める、とのことで、何か一本芝居ができないか、と検討したのですが舞台セット無しでできる芝居がキャラメルボックスには無い、しかもお休み期間中で役者が集まらない、ということが重なり、無料のビデオ上映会をして、行ける劇団員はできるだけみんなで神戸のお客さんに会いに行こう、ということになりました。
 
 ……この時、芝居を持って行けなかったというのは、本当に屈辱的でした。劇団なのに、芝居ができないなんて。
 この想いが、後の『賢治島探検記』の誕生に繋がるわけです。
 
 でも、3月6日に新神戸オリエンタル劇場で行ったビデオ上映会には、朝からたくさんの方が詰めかけてくださいました。
 当日、関西国際空港から船で港に着いたメンバーは歩きで劇場へ。僕らスタッフは前日に入って芦屋からタクシー。まだまだ全く片付いていない神戸市内の様子に唖然としながら劇場に到着。
 役者達が劇場に着いた頃にはすでにお客さんが劇場の前に並んでいたので、15:30開場16:00開演の予定だったのに、11時過ぎには開場し、僕と西川が舞台に出て前説を開始。これがキャラメルボックス史上最長の前説ですね、5時間。他の役者達もロビーに出て、ロビーのお客さんたちとお話。地震で恐かったこと、避難先で大変なこと、などいろんなお話を聞いたりし続けました。
 そして上映したのが、『カレッジ・オブ・ザ・ウインド』と『広くてすてきな宇宙じゃないか』。みんなで笑い、泣き、楽しい1日を過ごしました。
 
 その後、キャラメルボックスでは公演ごとに「出演者全員のサイン入り色紙」を販売し、「義援金ポストカード」を作ってお金を集めて、あしなが育英会( http://www.ashinaga.org/ )の「震災遺児育英基金」に寄付を続けました。その後、震災遺児のための「レインボーハウス」の基金に変更。今でも、ポストカード販売は続けています。
 
 8月12日から、新神戸オリエンタル劇場で『また逢おうと竜馬は言った』を上演。3月にお会いしたお客さんたちと再会。
 それからも、毎年最低でも2公演を神戸で行ってきています。
 
 「レインボーハウス」のこどもたちも、もう大きくなり、何度かキャラメルボックス公演にもご来場くださっています。
 
 あの大震災から17年。
 僕は、いつも神戸のことを考えて生きてきました。
 1月17日のことも、3月6日のことも、一生忘れません。
 これからもずっと、神戸を応援していきます。
 また近いうちにうかがいます。待っててくださいねぇっ!!


2012-01-18 14:13  nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(1) 
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阪神・淡路大震災から18年。 [阪神・淡路大震災]

 1995年1月17日、僕たちキャラメルボックスは、盛岡にいました。
 『ブリザード・ミュージック』の北ツアー。
 
 その前日はお酒を飲んでいてかなり遅くに寝たはずなのですが、なぜか6時過ぎに目が覚めました。
 なにげなくテレビをつけると、神戸の方で大きな地震があって、火事になっているらしい、という内容。
 まだ夜が明けておらず、火事が起きているということしかわかりません。
 
 そんなふうに始まった、1990年に関西初公演を神戸で行って以来頻繁に神戸に行っていた僕たちと阪神・淡路大震災との戦いが始まりました。
 詳しいことは、過去の1月17日(前後)の記事に書いてきましたので一覧でどうぞ。
 http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/archive/c2302585846-1
 
 主に東京に住んでいると、阪神・淡路大震災のことは遠い昔のことで、ほとんどニュースにもならないのですっかり復興しているかのように思われるかと思います。実際、新神戸駅で降りて三宮まで出て観光して帰るだけならばなんの問題も無く復興していると言えるのかもしれません。
 しかし、あの震災を経験した人と会い、あの日の話になると、押し黙る人とどっと堰を切ったように話し始める人の二通りいらっしゃいます。
 今でも恐い。いつあの揺れが来るかもしれないと思うと三宮は歩けない。そんな人もいらっしゃいます。
 
 この18年間、毎年神戸に通い続けてきていて、そういう方々のお話をたくさん聴いてきました。
 家がつぶされて家具や家の下敷きになったけれどもなんとか這い出してきて助かった方。たまたまトイレに居て助かったものの、家は全壊した、と言う方。自分の家は大丈夫だったのに、周囲の家が全壊し、地震後数日間は寝ずに近所の人たちを掘り出して助け続けていた、と言う方。
 何年経っても、あの経験はリアルにそこにあります。
 
 そして、2011年3月11日に東日本を襲った大震災。
 今度は僕たちは銀座にいました。
 東京は、直接の被害はそれほど無かったものの、大混乱に陥りました。
 そして北海道から千葉に至る広範囲が津波と地震に襲われ、翌日には長野県にも大地震が起きました。
 
 長く続く大きな余震のなか、僕はテレビを見続けておりました。
 そんななか、神戸の人たちが、そして関西の方々が、東北の支援のために立ち上がるニュースを見ました。
 
 あの阪神淡路大震災があったから、一刻も早く東北を助けたい、と、自らの経験から察して動き始めてくださったのだと思います。
 
 体験した者にしかわからない、巨大地震の恐怖。
 体験したからこそわかる、恐怖からの脱出方法。
 
 あの時にうまくいかなかったことが、今回は機能していることがたくさんあることも知りました。
 
 人間は、学ぶ。経験を積み重ねて、一人でも多くの人を救うために知恵を積み重ねる。
 ただ悲しがっていただけではなく、次に来た時にはどうするか、をきちんと考えてある。
 単純に、人間ってすごいな、と思いました。
 
 僕らエンターテイナーにとって、できることは限られていますが、僕らもできるだけのことはして、継続して思い続けていくくらいのことはできます。
 阪神・淡路大震災の後に何もできなかった経験から生まれた「どこでもできる演劇『賢治島探検記』」。それを2011年10月に東北で上演。しかし、東北応援無料ツアーをやってみて、僕は、まだまだもっとできることがある、と感じました。
 それはまだ、僕の中だけにあり、醸造中といったところ。形になりかかったら、またご報告させていただきます。
 
 少なくとも、阪神・淡路大震災の直後から僕たちは変わらずに神戸に通っています。18年間、ずっと。
 そのことが、少しだけでも、神戸のお客さんたちの力になれている、と、勝手に思っています。
 
 僕らの担当は、モノやお金を持っていくことじゃない。愛する町だからこそ、とにかくそこに行って、そこにいるキャラメルボックスに会いたいと思ってくださっている人たちを励ますこと。元気づけること。明日が楽しみになる勇気を差し上げること。
 
 「これからも神戸に来続けます」というあの日の約束を絶対に忘れないでかたくなに公演し続ける東京の劇団が、一つくらいあってもいいんじゃないか、と思います。
 
 東北での「いつかきっと戻ってきます」という約束を守るために、僕らはまずは、今日やるべきことをやり続けます。
 
 そしていつか、神戸の皆さんといっしょに、東北に行くことを夢見ています。
 
 


2013-01-18 00:01  nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(1) 
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19回目の1月17日。 [阪神・淡路大震災]

 阪神・淡路大震災から19年。
 毎年、1月17日は『ブリザード・ミュージック』盛岡公演の仕込みをしていたあの日のことを思い出します。
 【例】2006年1月17日の記事「11回目の1月17日。」 http://caramelbox-kato.blog.so-net.ne.jp/2006-01-18
 
 僕にとって神戸は1990年以来自分のふるさとと同じような存在なので、あの日のことは「思い出す」というよりも常に心の中にある、と言った方が的確かもしれません。
 
 あの地震の後、何人ものお客さんをキャラメルボックスのお客さん名簿から削除しました。
 ともに劇場で時を過ごした方々がもうこの世にいらっしゃらない、ということを、当時の僕は受け止めきれず、ものすごく苦しみました。それは、東日本大震災でも。
 
 ただし、東日本大震災の時に感じたのは、阪神淡路大震災の後にたくさん語られた教訓が、関東から東北で、驚くほど活かされていなかった、ということ。
 僕自身は阪神間であの地震を体験した方々のお話を直接聞く機会がたくさんあって自分のこととして捉えられていたからか、2011年3月11日の時も冷静に行動できたのだ、と思います。
 
 が、あれだけのことがあったのに、「自分だけはだいじょうぶ」と思っていた人がどれだけ多かったのだろう、いや、ほとんどの東の人たちがそうだったのではないか、と、歯がゆい思いをした、というよりも、愕然としました。
 
 東日本大震災では、東北沿岸では津波と原発事故という、阪神淡路では無かった被害が出ましたが、阪神淡路の教訓をきちんと受け止めて対策を実行していればあそこまでの事故や被害や混乱は起きずに済んだのではないか、ということが多々あり、報道を見ていて「あんたたち、16年間何をしてたんだっ?!」と叫びたくなる時もありました。あ、個人に対して、ではありませんよ。
 あ、もちろん、活かされていたこともあるにはありましたけれども。
 
 まず、生き残った僕たちが、ちゃんと教訓を活かしていかなければ、亡くなった方々に申し訳ないと思います。
 
 僕は、2011年から「東北に行きましょう、"被災地"に行って、自分の目で見てきましょう、それが被災地支援にもなります」ということを何度か書いたかと思います。あれから東北に行かれて、沿岸の被害を自分の目でご覧になった方はどのくらいいらっしゃるでしょうか。
 
 僕らは、1995年のあの地震の直後から毎年何度かずつ、神戸で公演をやり続けてきました。当時も、「また来るかもしれない」と、神戸に近付くのを怖がる人がいらっしゃいました。
 でも。
 そこで暮らしている人がいて、そこで働いている人たちがいるんです。そこには、自分と同じように「生活」している人たちがいるんです。
 
 東北に行くのが怖い、という方は、まずは是非神戸に行ってみてください。
 19年経っても、「あれ、ここ、まさかあの地震以来このまま?」というようなところが、街の中のところどころにあります。飲み屋さんや飲食店で「あの日」のことを尋ねると、みなさん、昨日のことのように堰を切ったようにお話をしてくださいます。
 もちろん街は見た目は「復興」していますが、あの地震のせいで時間が止まってしまった人や生活があり、心は復興していない人も多い、ということを知ることができます。
 
 ただテレビやネットで知ったような気になっているだけではなくて、そういう絶望的なこともあった、ということを自分の目で見て、話を聞いて知ると、今自分が何をするべきかは自ずから自分の中からあふれ出してくるのでは無いかと思います。
 
 直接何かをどうこうする、ということではなく、僕たち残された者達は、「次」が来た時に、一人でも多くの人の命を助けられるように努力すべきです。しなければなりません。
 
 阪神淡路の、東日本の、たくさんの人たちの大きな無念を、僕たちの明日に一つでも活かしていきましょう、必ず。
 神戸のみなさん、これからもよろしくお願いいたします。
 そして、あの地震で亡くなった皆さん、これからも安らかにお眠りください。
 僕は、絶対に忘れません。


2014-01-17 17:11  nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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阪神・淡路大震災を引き起こした1995年の兵庫県南部地震から20年の日に。 [阪神・淡路大震災]

 阪神・淡路大震災を引き起こした1995年の兵庫県南部地震から20年が経ちました。
 
 今までに何度も書いてきていますが、1995年1月17日当日の朝、僕たちは盛岡にいました。前年11月に神戸で初日を迎えてお正月を挟んで1月まで続く『ブリザード・ミュージック』のツアーで仕込みをしていたのです。その日、当時の僕には珍しく早起きしてテレビをつけていたら、突如画面が変わってまだ真っ暗な神戸の街の模様を映し出し始めたのを覚えています。
 
 キャラメルボックスが1990年に初めてやった「地方公演」が神戸で、緊張する僕たちを熱烈に歓迎してくださったことに感動して通い始め、ちょうど神戸に常連さんが増えていた頃のことでした。しかし、その震災で何人ものサポーターを失い、また、大切な人やものを失ったサポーターも多く、僕たちはその後に神戸で上演する演目は心の底から力が湧き出すような作品をやることを心掛けて上演し続けました。
 
 それから20年、毎年何度も新神戸オリエンタル劇場で上演し続けてきたわけですが、神戸の街の見た目の物理的な復興は物凄い勢いで進んだものの、あの地震を経験した方々の心の緊張は今でも取れてはいない、というのが僕の実感です。
 
 一方で、あの時にまだ若かった人たちがビジネスの世界の中心に入っていくようになり、小さかった子供たちが大人になり、新しい神戸を作ろうとしている姿も見えるようになってきました。2010年に始まった「神戸マラソン」が、その最大の成果なのではないか、と思っています。最も地震の被害が大きかった地域がコースに選ばれていて、そこを世界中から集まった2万人の人たちが走り抜ける、という姿は、まさに「復興」そのものなのではないか、と感じました。
 http://www.kobe-marathon.net/subject/index.html
 
 「元に戻す」だけではなく、震災の体験を持ち、伝え、それを分かち合い、しかし元気に楽しく未来に繋げようという前向きな力を、この大会の運営全体からひしひしと感じます。
 
 2011年の東日本大震災からの復興は、物も心も、まだまだ復興には程遠い状況です。しかし、20年経った神戸ではこれだけ力強い復興が行われているという姿を見せてもらっていると、「よしっ、少なくとも20年まで、頑張ろう」という気持ちになることができます。10年ではできなかったことも、20年経てばできるのですね。神戸の皆さんから、そういう希望をいただいた気がします。
 
 東北のみなさんも、可能になったら是非、一度神戸に行ってみてください。できたら、神戸マラソンが行われているその日に。ビルが倒れ、高速道路の橋脚が落ち、火の海になっていた街に、今、笑顔が溢れているその姿を全身で感じていただきたいと思います。
 
 これからも、神戸のことは決して忘れませんし、見詰め続けて行きます。地震以来しばらく劇場から遠ざかっていた方も多いかと思いますが、僕らはあれからもずっと年に何度か新神戸オリエンタル劇場に通っていますから、是非またお立ち寄りください。見たような顔のメンバーと、ピンクのブタのみき丸が、あなたをお迎えいたしますからっ!!


2015-01-17 08:52  nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
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